日々:英雄ではなく1人の人間として

北方謙三さんの水滸伝がドラマ化されると聞いてLemino に加入しましたが、全6話と聞いて愕然としています。そんなコンパクトに収まるわけがなく、始まる前から続編を期待していますが、地上波とは違ってそこまで盛り上がらないでしょうからどうなることやら。

この水滸伝は楊令伝、岳飛伝へと繋がり、そして現在文庫本が出ているチンギス紀へとストーリーが繋がっていきます。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、チンギス紀に吹毛剣が出てきたときには、少し身震いしました。

他にも水滸伝から脈々と引き継がれているものがあり、物語もかなり後半になってきたのもあって、読み進めるのがもったいない気持ちになりつつあります。ただ、この大風呂敷をどう回収するのかは気になるので、読むしか選択肢はないのですが。


このシリーズを読んでいると「国とは何なのか」をどうしても考えてしまいます。支配する者がいて、支配される者がいる。これがかつての国のかたち。ただ、支配される側にしてみれば、国と一蓮托生なわけではありません。

むしろ、所属する国はどんどん変わっていきます。水滸伝の中の北京だけでも、宋→金やじるモンゴルと支配する国が変化します。ただ、その中で国民のするべきことは変わりません。生きていくために畑を耕し、求められる税を納める。

国が国民を守ってくれるわけでもなく、国民も国に守ってもらおうとは思わない。自分たちは不動であり、支配する国が変わろうとやることは変わりません。私は民主主義の時代にあってもそれでいいと思っています。ただ、ひとつ違うのは移動できるということ。

どうにもならないくらい国のことが嫌いになったら、別の国に移ればいい。もちろんそれは私のスタンスでしかありません。国に納得できないなら、選挙によって政治を変えればいい。選挙前ということで、そういう熱い思いを持って語る人が増えています。

そういう熱を持っている人をすごいなと思いつつ、それは私にはないものだからと、冷静に考えている自分もいます。私たちに与えられた時間は有限で、何かをするということは、何かをしないということになります。私は自分の時間を自分のためだけに使いたい。

そういうと自己中心的な人間だと思われそうなので(思われても構いませんが)、一応伝えておきますが、自分のやりたいことは「誰かの役に立つこと」なので、決して自分勝手な生き方をしたいわけではありません。ただ、大勢を救いたいわけでもなく。


身の回りにいる人たち、目の前にいる人、そういう範囲で自分が役立てばそれでいい。志が小さいと思われるかもしれませんが、50年も生きていれば自分の器の大きさも形も理解できますし、それに見合ったことをすればいいのだと開き直れます。

水滸伝には王進という人物が登場します。彼は梁山泊にとって重要な人物ですが、他の英雄のようにオープンなわけではなく、クローズな世界で生きていくことになります。ただ、物語がチンギス紀に繋がれるために、王進はなくてはならない存在でもあります。

彼は国を憂うことはなく、ただ丁寧に、自分の暮らし、家族との暮らし、託された子供たちとの暮らしを大切にする。そこが私の目指すところ。世界を変えることもなく、野望もない。それでも人生を諦めず、地に足をつけて生きていく。私にはそれがいい。

集英社
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