インプットしなくてもアウトプットはできる【それが正解ではないが】

伊豆高原に来ています。通勤時間10時間という海外にでも行けてしまいそうな大移動ですが、もう慣れたものです。移動時間は仕事時間で、時々本も読めるし悪くありません。最近ほとんど本を読めてなかったので、至福の時間でもあります。

スマホがなかった頃、私は電車移動がとても苦手でした。藤沢から新宿に向かうのに本をカバンに入れるのを忘れてしまい、往路はなんとか耐えましたが、復路で限界を迎えて途中下車したことがあります。本があれば耐えられるけど、何もしない1時間はあの頃の私には無理でした。

今なら1時間あれば寝るんですが、当時大学生だったのでエネルギーが有り余ってて、電車でなんか寝れないわけです。だから本は必須で、途中下車事件以降は本を忘れてたら、必ず本屋で本を買うようにしていました。駅前の本屋ってきっとそういう人のためにあるんですよね。

本を読むことは私にとって貴重な情報インプット作業です。私は基本的に誰かの発信した情報をインプットするという行為をしません。まったくしないわけではありませんし、仕事で依頼を受けた案件に対しては下調べをしなくてはいけないので、インプットします。

ただ、ラジオパーソナリティのように、生活しながらアンテナを張って情報収集をしているわけではありません。生きていれば思うことはいくらでもあり、ブログは言語化しておきたい感情を、ただひたすらに書き込めばいいだけ。日記みたいなもんです。

ブログブームのときに「何を書けばいいかわからない」という話をよく耳にしましたが、書きたいことがない、書けることがないという人は、そもそも書く必要がないんです。書かなくてもバランスが取れているから。私のように言語化しないとバランスを取れない人が発信者になればいいだけのこと。

そう、私は自分の中に溜め込みたくないから書き続けているという一面もあります。どうしても伝えなくてはいけない情報なんて、1年に数回あればいい方です。その他の360回くらいは、心の棚卸しをしているだけです。いま自分がどんな状態にあるのかを確認しているわけです。

人間というのは自分のことをわかっているようで、意外とわかっていないもの。自分の感情を言語化することで、ほんの少しですが自分のことを理解できるようになります。私のように頭に浮かんだ言葉をそのまま文章にしているような場合には特にそうです。

この文章も何を書くか決めて書いてるわけではなく、頭に浮かんだ言葉を瞬間的にそのまま文字ににしているだけです。これは別に特別なことではなく、みんな日常の中でやっていること。会話をするときに、何を言うかを考えてから話す人はいませんよね。

言葉にするのと同じスピード感で文字にしていけばいいだけのことです。実際には言葉にするよりも文字を打つ方が遅いので、まったく同じスピード感ではないのですが(フリック入力のおかげでだいぶ早くはなりました)。要するにこのブログは私の1人語りというわけです。

1人語りには大したインプットはなくてもいい。もちろんそれは、いままでに蓄積してきたインプットがあってのことですが。でも、やはり今の私にはインプットが少ない状態が好ましいかな。いつも書いていますが、私は影響を受けやすいタイプの人間なので。

インプットしたばかりの情報を発信するとき、それはまだ自分の中で消化されてない状態なんです。消化には長い時間が必要で、ときには1年以上かかることもあります。発信には責任が伴うことを考えると、しっかり消化してから。もっとも書き始めたら、そんな考えも全部吹っ飛んで、ただ頭に浮かんだ言葉を文章にしてしまうんですけどね。

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