死にチケット:大阪・関西万博の成功と運営に対する自分のスタンス

ひどい名称です。大阪・関西万博の未使用チケットが約140万枚あり、すでに予約が埋まっているなどして使えないチケットのことを「死にチケット」とメディアが呼んでいるのですが、誰が最初に言い出したのでしょう。少なくとも大手メディアが使っていい言葉ではありません。

この国には表現の自由があるので、法律としては問題ないのかもしれません。でも、この国には明文化されていないルールがあります。その多くは「どうでもいいようなルール」ですが、そのルールが日本人の日本人らしさを守っていたりします。

この場合は単純に「使えないチケット」でいいと思うのですが、インパクトのある言葉を使わないと注目を集められないという判断なのでしょう。「貧すれば鈍する」の典型です。メディアの終焉が語られて久しいですが、本当にもう末期症状なのかもしれません。


それはともかく、大阪・関西万博で使えないチケットが出るほど盛況だったのは喜ばしいことです。私自身は興味がないというか、そこまで興味の範囲を広げる余裕がなかったのですが、こういうものは失敗するよりも成功したほうがいいのは明らかです。

これだけの規模のイベントを成功させた体験は、必ず次に活かされます。反対に大失敗したときには、次のチャレンジに向き合ったときに二の足を踏む理由になってしまいます。成功することで未来の可能性が広がり、そして今回ずっと足を踏ん張ってきた人たちが報われるなら、喜ばしい以外の何物でもありません。

もちろん、大規模なイベントですので、その裏で苦しめられた人もいるはずです。今はとても面倒な時代で、そういう人達のケアもしなくてはいけません。性格には、ケアしていますよアピールが必要なだけですが、光があれば陰があるという自然の摂理を受け入れられない、受け入れてはいけない風潮は好きではありません。

そもそも私は光に照らされることが正解だという考えがありません。むしろ、私が好んでいるのは陰になる人たち。私が乃木坂46に興味を持ったのは、選抜とアンダーという光と陰、2期生という報われない存在があったからです。報われない存在がどうやって自分であり続けるのか。こんな美しいストリートはどんな小説にも書かれることはありません。

ひねくれているように思うかもしれませんが、私はもてはやされているものから距離を置く傾向にあります。大阪・関西万博も世界陸上もイベントとしては大成功であり、きっとそこから学べることもありますし、シンプルに熱狂できる魅力もあるのでしょう。でも私はどうしても斜に構えてしまいます。

それでいて成功を妬んでいる時間もありません。だから、どこか遠いところで「成功して良かった」と思う程度で、翌日にはそのことを忘れてしまいます。ただ、物書きでもあるので言葉には敏感で、やはりどう考えても「死にチケット」という言葉は受け付けられません。


メディアの論調は「なぜそんなチケットが出たのか」「運営が杜撰だったのでは」となっていくのでしょうが、私たちは正解だけを選んで未来へと進むようにはできていません。失敗から学び、ゆっくりと良い方向に進むように舵を切り、10年後20年後にわずかでも今よりもいいところにいるくらいのことしか人間にはできません。

そのために糾弾が必要だとしても、それはメディアの役割ではありません。当事者とそれを監査する者が向き合って議論すればいいだけ。もちろんメディアにいる人たちもそんなことはわかっていて、でも飯の種だから報道するしかない。まったくもって健全ではありませんが、社会がそれを望んでいるとも言えます。

断言しますが、大阪・関西万博の運営がどれだけしっかりしていても、杜撰だったとしても、本質的には、ほとんどの人たちの人生に何ら影響を与えることはありません。私たちはもっと考えなくてはいけないことがあるはず……と言いたいところですが、何と言っても多様性の時代ですから、まぁいろんな人がいるということで。

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