俯瞰:悔しくて涙することはない理由

暖房がないと朝晩の寒さに耐えられない季節になってきました。マラソンシーズンの到来といったところですが、マラソン大会は愛媛マラソンまで入れていません。12月に都内でリーズナブルな大会があるようなので、それに参加するか検討中ですが、多分エントリー忘れて走れないという結果になります。

ひとつのことに集中すると、すぐに他のことを忘れてしまいます。今日も家を出るときに暖房のスイッチを切り忘れました。スマホでオンオフできるようにしているので、誰もいない部屋を延々と温めるという無駄なことをしないで済みましたが、この手のミスは何歳になってもなくなりません。

丁寧な暮らしを心がけているつもりでも、どこか抜けてしまう。なぜか真面目できちんとしているというイメージを持たれがちなのですが、実はかなりおっちょこちょいで、ミスもたくさんやらかします。そしてそれを反省したところで、ミスそのものも忘れます。


基本的にどんなことも寝てしまえはリセットされます。だから失敗して落ち込むこともありません。Tverでキョコロヒーを見ていたら「今年どれくらい泣きましたか?(映画やドラマなどを除く)」というインタビューについてヒコロヒーさんと齊藤京子さんがあれこれ語っていましたが、「泣く」という感覚がよくわかりません。

年齢のせいかもしれませんが、涙もろくはなっています。映画を観て泣くことは増えました。でも、日常生活や仕事で泣くことはありません。そもそも悔しくて、泣くという選択肢すらありません。そこまで気持ちを入れて何かをしたことがないだけかもしれませんが。

Tverの広告で齋藤飛鳥さんが 「車がなければ、わたしどこで思い切り泣けばよかったんだろう。」と台詞を読んでいましたが、車の中で泣かなくてはいけないなんてドラマの世界だと思っていましたが、キョコロヒーのインタビューでは、そこそこみんな泣いていることを知りました。

男が泣いていいのは親が亡くなった時だけ。父がそう言っていたように記憶していますが、他の人の言葉だったかもしれません。幼かった頃の私は本当に泣き虫で、毎日のように泣いていました。そのときに涙を使い果たしたのか、泣いても何も解決しないと学んだのか。

映画では泣くことは多々あるので、おそらく泣いても意味がないと学んだのでしょう。そんなことない、泣くとスッキリするみたいな反論をされる方もいるかもしれませんが、泣いてる時間があるなら、どうにかして前に進むというのが私のスタンスです。

それは意識しているわけではなく、それが当たり前になっているだけ。どんなに悔しい思いをしても、涙で解決することはありません。これから先に変化するかもしれませんが、おそらくこれからの人生でそこまで何かに気持ちを入れることはないと思います。


万里の長城マラソンやRUNNING STREET 365に気持ちを入れていないのかというと、もちろんそんなわけはありません。でも、どこかで俯瞰している自分もいます。個人で仕事をしていく場合、この俯瞰というのがとても大切になります。

作業するときは、すべてを忘れるくらい集中しますが、作業の手を止めたときにどれだけ冷静に現状を把握できているかで、成果物の評価が大きく変わります。かつて「冷静と情熱のあいだ」という映画(小説)がありましたが、ライターとして冷静と情熱の間を何度も行ったり来たりするわけです。

俯瞰して冷静でいられる限り、私は感情的に涙を流すことはないのでしょう。それは人として大切な何かが欠けているのかもしれません。たとえそうだとしても、そこも自分の強みとして受け入れるだけ。どんな感情も寝たら忘れてしまいますし。

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