
12月になって、寒さが本格的になってきました。寒いのが苦手な私にとっては厳しい季節が始まりますが、それでもまだこれくらいの寒さなら耐えられます。むしろ、自分とこの世界との隔たりを、肌で感じられるのが好きだったりもします。
私は集団行動を継続できないタイプなので、「個」を感じられる瞬間を心地よく感じます。集団行動できないわけではありませんし、周りからは得意と思われがちですが、同じ場所に3年くらいいると耐えきれなくなります。50年生きてきてそうなのですから、これはもう変わることはありません。
私なりにいろいろ試してはみました。深く関わるからダメなんだと思って、通信機器の会社に勤めていたときは会社の経営に関しては「我関せず」のスタンスで、最初はそれでよかったものの、やはり少しずつズレが生じて、独立することにしました。
もっともその会社の場合は、万里の長城マラソンをなんとかしたかったのが大きいので、集団に馴染めないのだけが理由ではありませんが。ただ、基本的には同じ場所にいられないタイプ。今は動きようがないので鶴巻温泉にいますが、可能であればいつでも都内や東北に引っ越したいところ。
個を大切にするというのは、学生時代からあったというか、小学生くらいの段階でそれが明確になり始めたような気がします。「他人は他人」というスタンスで家庭内教育されたこともきっと影響しています。他の人がどうとかは関係ないと言われ続けたので、自然と「個」を重視するようになったのでしょう。
別にそれをネガティブに受け取っているわけではなく、むしろ私が私であるために必要な過程だったと思っています。少なくともいまの自分が好きなので、その過程で何が起きていたとしてもすべて必要な出来事だったと私は考えています。

個を本格的に意識し始めたのは社会人になってからかもしれません。大学時代にはすでに芽吹いていましたが、サッカーという存在がそれを押さえ込んでいたのかもしれません。団体競技においてチームワークというのは切り離すことができないので。
それでも大学4年のタイミングで退部したのは、個人の勝手であり、もはやチームワークという言葉では抑えきれなくなっていたのでしょう。自分を消してチームのために。それはとても美しいことですが、自分にはそぐわなかったわけです。
そういう意味で「個」のスポーツでえるマラソンは私にはとても適していました。自分がやっただけ結果が出る。結果を伴わなかった場合の責任はすべて自分にあるというのはとてもわかりやすく、そしてどんどん沼にハマって今があるわけです。
そしていつのまにか「多様性」などという言葉が誕生し、「個」を大切にする時代にになっています。こうなると天邪鬼な私は、「そうじゃないだろう」となるわけです。「個」ばかりを追っていたら仕事にならないし、残るのは虚しさだけだと思うこともあります。
自己完結というのは私の理想ですが、現実的にはそれはできません。人間が生きていく上で誰にも関わらないでできることは限られており、人は1人では生きられません。だからお互いを尊重し、時には自分を消して周りを立てることも必要です。
でも、世の中はそうではなく、みんなが「自分」を大切にする。そして、そのためなら他者を傷つけても仕方ない、他者に苦労させることになっても気にしない。そんな風潮を感じることがあります。それは私が追っていた「個」とは違うのですが、説明すると長くなるので今日はこのあたりで。
