
電車から降りるときに、扉の前を開けずに下車の妨げになるような形で立っている人が増えてきたように感じます。以前から気になっていましたが、ここ数年でかなり遭遇する確率が増えきました。本人は避けているつもりでも、実際には「そこに立つ?」と思うところに立っていたり。
そのたびに北京のことを思い出します。かつての北京はもっとひどくて、そもそも地下鉄の車両から降りるのすらひと苦労したものです。それが改善されたと言いたいところですが、実際には改善されているケースとそうでないケースがあります。
扉の前をきちんと開けてくれることもあれば、降りようとしているところに乗ってこようとされることもあります。ただ、以前のように下車時に気合を入れる必要はありません。先日、北京の地下鉄に乗っていたとき、次の駅で下車するために扉の前に移動したら、「開くのは反対の扉だよ」と地元の人が教えてくれました。
どうしてかわかりませんが、北京の人たちはみんな私に親切にしてくれます。前世が皇帝だったか、もしくは中国のために尽くした人だったのかもしれません(だから居心地がいいのかもしれません)。それはともかく、中国はゆっくりと日本のようになりつつあります。
当たり前のようにアイスコーヒーを飲みますし(中国人は冷たい飲み物を飲まない)、待ち合わせの時間もきちんと守ります。私がルーズだというのもありますが、中国の方と待ち合わせしたら、大抵のケースで私が1番遅れて待ち合わせ場所に到着します。
こういう「きちんとする」というところは、間違いなく日本の影響を受けています。多くの人が日本に行って、日本の文化に触れたことで意識が変わったことも大きく、さらに日本のアニメやドラマなども若い世代を中心に影響を与えています。

混じり合う文化は必ず収束していくのだと私は考えています。日本とアメリカの文化が混じり合ったとき、日本の文化は随分とアメリカナイズしました。もはや和服を着ている人なんでほとんど見かけません。「個」を意識する人が増えたのも間違いなくアメリカの影響です。
同じことが日本と中国でも起きています。中国はゆっくりと日本に近づいていき、そして日本はゆっくりと中国に近づいていく。ただ、日本人が中国の文化に触れる機会が少ないので、どちらかといえば日本寄りに収束しているのですが、確実に近づいています。
ではそれぞれの文化に差はなくなるのかというとそういうわけではなく、収束してなお残ったものが、その国の本質的な部分なのだと私は考えています。お互いに何が残るのかはまだわかりません。何百年も紡がれてきたことが何十年で消えるなんてことはありませんから。
反対にここ何十年で定着した文化や思考は簡単に変わっていきます。民主主義だって共産主義だって、いずれ違う形に移り変わります。「みんなで決めましょう」「みんなで豊かになりましょう」の「みんな」はすでに形骸化しているので、変わるしかありません。
おそらく私はその変化を見届けることはできないのでしょう。次の世代、その次の世代がそこでの主役になる。どんな時代が来るのか興味がありますが、先のことは誰もわかりません。それでも妄想することはできます。猫型ロボットがいる未来だって。
そして日本と中国が仲良くやっている未来も必ずあるはずです(揉めてる未来もありますが)。せめてそれだけは今世のうちに見届けたいところです。私にできることなどほとんどありませんが、現状を嘆くのではなく、できそうなことからコツコツやっていきます。
