変わる国と変わらない国【2024年は自分を再構築する年】

北京に行くにあたって、付け焼き刃でいろいろ調べ始めたのですが、わかったのは中国では1ヶ月前の情報すら古くなることがあるということ。QR決済で地下鉄に乗れるかどうかを調べるだけでも、結局のところ今どうなっているか分からず。

このブログがアップされる頃にはすでに北京にいて、4年間での変化を楽しんでいるわけですが、こんなにダイナミックに「常識」が変わる国がすぐ近くにあって、自分たちは基本的には何も変わらない国で暮らしている。これはなかなか興味深いことです。

おそらく日本は世界でも類を見ないくらい保守的な国です。新しいものを取り入れることを嫌い、伝統やら慣例を大切にする。それ自体は悪いことではないのですが、この数年間は世界に置いて行かれている感がかなりあります。もう日本が世界を引っ張るなんてことはないのでしょう。

だから日本がダメというのではなく、停滞していてもなんの不便もなく暮らせるというのはそれはそれで凄いことで、世界中から観光客がやってくるのもわかります。安全だし綺麗だしあらゆるものが安い。そんな国があるなら、私でも訪れます。

しかも手にしたものが古い情報でも何も困りません。これはかなり便利なことで、生活に安定をもたらしてくれます。人間の能力には限界があり、何かひとつに頭を使うと、他のことはできなくなります。新しい情報についていこうとすると、別の何かが疎かになります。

ただ、別のことに頭を使えるようになったからといって、すべての人が新しい何かに取り組むかというとそうでもなく、むしろ「変わらない」を大切にしているので、それなりにゆとりのある生活に浸り、ストレスのない日々を過ごすわけです。

それはある意味、理想の生き方です。いつも何かに追われてきた。少なくとも私の場合は中学生になってから社会人になるまで(なってからもしばらく)、ずっと坂道を全力で登らされているような日々で、向上心を求められて続けたように感じています。

でも、いまの時代は向上心なんて持たずに、フラットな道で無理なく生きていくことが許されるようになっています。多様性とかいう意味のわからない言葉が蔓延して、「自分らしさ」みたいな、もっともそうで誰も得しない言葉がもてはやされています。

別に自分以外の誰かが、ぬるま湯に浸かっていても気にはなりません。新しいスキルを身につけるために苦労が必要だとして、その苦労をするくらいなら新しいスキルを諦めるという生き方を選ぶのも自由です。ただ、自分はそうなりたくないということ。

中国に行くたびに、あらゆる情報が更新されていて「このままではいけない」という気持ちになります。中国がすごいというのではなく、自分がかつて持っていた熱のようなものを感じて、知らないうちにぬるくなっていたことに気付かされるという話です。

中国だっていずれ熱を失います。日本にはない課題もあるはずです。むしろ、今は最後の足掻きをしているような状態のようにも見えます。そういう中でダイナミックに変化し続ける。その先に何が待っているかはわかりませんが、きちんと見届けようとは思います。

2024年は自分を再構築する年。そんなことを考えています。そこに向けて、北京での数日がきっと意味あるものになる。そこで得たものが再構築するときの基礎の一部になるはず。だから一瞬たりとも見逃さないつもりで、北京の今を楽しんできます。

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