10年ひと昔なんて言葉がありますが、時代のスピードが速い昨今では、むしろ10年なんてついさっきみたいな感じがあるのは、私か単純に歳をとったからでしょうか。2000年を最近とか思ってしまうのは、そろそろなんとかしなくてはいけません。
それはともかく北京です。4年ぶりに来たわけですが、1年来ないだけでも随分と感じが変わってしまうのに、4年も経っていたらどんなことになってるんだろうと期待していたんです。そしたらですよ、期待なんか超越するレベルで変わっていました。
まだ異世界に飛んだことは多分ないんですが、もう異世界ですよ4年ぶりの北京は。最も大きな変化は掃除が行き届いているということ。そもそも20年前の北京は多くの日本人がイメージする通りの中国で、お世辞にもキレイとは言えませんでした。
それからオリンピックを境に目に見えるところはキレイになってきました。それこそ北京に来るたびに「キレイになった」と言ってきました。それは間違いではないのですが、見えない部分は汚れたままで、ゴミが山積みだったりしていました。
そこに中国人らしさを感じ、親しみを込めて「どうしようもない人たちだなぁ」なんて思ってたわけです。ところがです。今回の北京はそんな過去がなかったかのように、隅々まで掃除が行き渡っていて、「このお店こんなにキレイだった?」を何度も繰り返しています。
すべてはパンデミックのせいなんだと思うのですが、国が衛生管理の大切さを徹底したのでしょう。掃除が行き届いていないと街ごと封鎖するとかしてても、まったくおかしくありません。こういうときに管理された社会は徹底できるので。
ただ、今までと違うのは本質をわかっているという点です。「街をキレイに」という方針があっても、理由もわからず言われたから掃除していたのがこれまで。だから見えないところは手を抜くし、ゴミを溜めたりするわけです。でも、今は本質を理解しているから本気で掃除しています。
これをしないと、また同じことを繰り返す可能性があると本能的に理解したのか、それとも教育されたのかはわかりません。でもはっきりしているのは、根本の部分が大きく変わっているということです。本質を理解できるようになると大きな変化が起きます。
本質を理解してると感じたのは、大会のボランティアスタッフの学生さんがあまりにも有能すぎたことも影響しています。彼らのスキルが中国の学生の中どのレベルにあるのかはわかりません。でもはっきりしてるのは有能であり、久しぶりに気持ちよく働けたということ。
たとえば参加者がサイズ確認で着たTシャツを袋に戻すとき、きちんと畳んで戻そうとしていました。でも上手く畳めなかったのを見て、私が密かにそれを畳みなおしたら、それを見られていたらしく「どうやって畳むの?」と聞いてきて、あっという間にマスターしました。
まず畳んで戻すということの必要性を理解してるなんて、過去のボランティアスタッフの学生さんにはなかったことです。そして、それが出来なかったことを良くないと感じ、なおかつ学ぼうとする姿勢。ここは本当に中国なのか?と目を疑う出来事でした。
他にもいろいろ気遣いができていたりして、本当に私の知らない異世界の中国に飛ばされたのかもしれません。同じ国なのに知らない国になっている。なんか久しぶりにワクワクしています。もしかしたらかつてのように、しばらく中国にハマるかもしれません。