
運命論者ではありませんが、どう考えても誰かがシナリオを書いているとしか思えないような出来事がたびたび起こります。詳しく書くことはできないのですが、今回もしばらく連絡を取っていなかった方からLINEがあり、そのやり取りとは別のところでその人の助けが必要になりました。
その方から連絡がなければ、私がやろうとしていたことが行き詰まっていた可能性があり、これはもう運命というか、筋書きがあるとしか思えないのですが、もちろん偶然ではあります。でも、それが頻繁に起きるわけです。そういう意味では運がいいのでしょう。
私はずっと人に恵まれて50年生きてきました。自分だけではこの場所に立てていませんし、もっと平凡な生き方をしていたはずです。平凡な生き方をしている自分にも興味はありますが、こうやって導いてもらえたことにはただ感謝しかありません。
特定の誰かが導いてくれたわけではなく、繋がりのある人たちが、みんなで誘導してくれているような感覚。だから、この道を進むことは最初から決まっていたようにも思えます。でも、実際には縁に恵まれた結果であり、決まった道などどこにもありません。
仮に私の未来が決まっていたとして、何かが変わるわけではありません。私がやるべきことをひとつずつ積み重ねていくしかできませんし、その中での出会いを大切にするだけ。もちろん、離れていく人もいます。それなりに別れも経験しています。
それでも新しくつながる人が多く、フリーランスなのにきちんと居場所を作れています。万里の長城マラソンやRUNNING STREET 365といったキラーカードがあり、自由気ままに好きなことだけして生きていられるのは、別れた人も含めて、たくさんの影響を受けたから。

基本的に私は誰かの影響を受けやすく、縁があって出会った人の「いいな」と思ったところは積極的に取り入れるようにしています。それは本当に小さなことだったりするのですが、その積み重ねが私を自分の理想へと近づけていることを実感しています。
苦手なタイプの人もいないわけではありません。ただ、苦手なタイプであっても学ぶことはたくさんあります。そもそも苦手と感じること自体、そこから学べることが無数にあるわけで、だから苦手というだけで距離を置かないようには心掛けています。
苦手だと思っていた人から影響を受けて、それこそ導かれていると信じたくなるような未来が待っていたことは何度もあります。基本的には何でも受け入れる。そして去る者は追わず。追っている余裕もありませんし、追ったところで何かをしてあげられるわけでもなく。
あと数日で50歳になります。困ったことに気持ちだけはまだ18歳の頃と何ら変わりません。まだ何にでもなれると思っていますし、時々は終わりのことを考えたりはしますが、基本的にはずっと目の前のことをひとつずつ片付けていくだけ。
そうしていたら、たくさんの人に出会えて、たくさんの人が支えてくれていた。ただそれだけのこと。とはいえ、終わりは必ずやってきます。そのことを考える頻度も増えてきました。私がいなくなった後の万里の長城マラソンはどうなるのか。RUNNING STREET 365はどうなるのか。
それも何かの縁があってうまく引き継げるのだと思います。全てを任せていいと思える出会いがきっとあり、私はまた別の道を進む。そのときどこに立っているかはわかりません。ただ、どこに立っていたとしても、やるべきことは同じ。そのときできることを小さく積み重ねていくだけです。
