サヨンの鐘と李香蘭とあの戦争と

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映画『KANO』を観てから、台湾について勉強を始めてた。台湾にはこれまで数回行っているが、自分がここまで無知だったことを恥じている。台湾の人たちがなぜ日本を好きなのか、まったくわかっていなかった。台湾が日本だった時代、何が行われていたのか、わたしたちはもっと知っておくべきだろう。

日本が戦争に負けて、戦前戦時中のことを語るのを長い間タブーとしてきた。その間、台湾や中国、韓国では徹底した反日抗日の教育が行われてきた。日本人は残虐で、戦時中に本当にひどいことをしていたと彼らは学んでいる。事実、満州事変のような誇れないようなこともしてきたが、日本人がしてきたことはそれだけではない。

台湾が日本になったときに、日本は徹底的に台湾に投資し、インフラを整備した。日本が統治する以前、台湾は原住民以外の人が暮らせるような場所ではなかったそうだ。マラリアやコレラといった風土病の地で、台湾に行った2人に1人は死んでしまうとさえ言われていた。

そんな台湾を近代化させたのが、あの時代の日本人だったのだ。そこに貢献した人たちのなかには新渡戸稲造のような誰もが知っているような人もいる。KANOを観た後に書いたブログで紹介した八田與一のように、いまでも台湾の人たちに愛されている人がいる。いいか悪いかは別として、いまの台湾の基礎を作ったのが日本人だという事実は知っておくべきだろう。

八田與一を引き出すまでもなく、多くの日本人がいまでも台湾人の心の中で生きている。「サヨンの鐘」という歌がある。出征する日本人の見送りのために犠牲になった台湾人の少女について歌ったもので、日本国内だけでなく台湾でも大流行し、なんと台湾ではまだ歌われているのだとか。

日本と台湾の良い関係は、「なんとなく」あるものではなく、ほどくことができないほど強く結ばれているものなのだ。

ちなみにこの「サヨンの鐘」は李香蘭主演で映画化されている。まさか、台湾について学んでいるときにまた李香蘭が出てくるとは思いもしなかった。八田與一を知り、八田與一や李香蘭のように国と国の架け橋になれるような人物でありたいと願っていたところに、李香蘭の登場だ。

わたしは日本も中国も台湾も好きだ。ただ、好きであるならばもっと過去を学ばなくてはいけない。あの戦争がなんだったのか、あの時代になにがあったのか。いつまでもタブー視している場合ではない。いまは過去の積み重ねからできている。何も反省ばかりする必要はない。かといって美化する必要もないが。

つぎに台湾を訪れるときに行きたい場所がある。触れたい歴史がたくさんある。そしてそれらをこのブログで紹介していきたい。あの時代の日本人が、台湾でどんなことをしていたのか。そういう視点で台湾を伝えてみたい。八田與一や李香蘭になれなくても、わたしにだってできることはあるはずだ。

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