ガスコンロを捨てた話:あれもこれもできる必要はない

ようやくガステーブルを粗大ごみとして処分できました。もうどれくらい長く使っていたかわかりませんが、北海道や伊豆高原に行く前から調子がよろしくありませんでした。なので1度だけですが、本気で買い替えを検討したこともあります。

「これを買おう」と思っていたものを数日放置していたら、割引価格が終了していて、それにふてくされて買い替えをしませんでしたが、あのとき即断即決していれば、今ごろまだガステーブルを使っていたはずです。ガステーブルがあることで困ってはいませんから。

ガステーブルを処分してラン仲間に譲ってもらったIHで調理をしていますが、ひとつだけ困ることがあります。それは暖房を入れながら調理できないということです。20AでIHを使うというのが無謀なわけですが、困っているのはそれだけです。

そんなものはどこかで30Aに変えてもらえばいいだけなので、夏までには交換してもらおうかと思います。調理でもっと困るかなと思ったのですが、よく考えたら私はそんな火力のいるような調理をしていませんし、チャーハンくらいまでならIHでも問題ありません。

もちろん玄米を炊くこともできて、それでいて出力が安定しているので、ガスのときのように仕上がりが毎回違うなんてこともありません。そうなってくるとむしろIHのほうが便利だったりもします。スクランブルエッグもIHのほうが簡単です。

それに気付いたのは北海道のレオパレスがIHだったから。それまではIHだと調理できることが限られているなんて思っていました。たしかにそれは事実ではあるのですが、人を招くわけでもないので、自分のためだけに凝った料理をするわけでもないので、調理できることが限られてて問題がなかったわけです。

多機能であることや、何でもできるということを「便利」だと勘違いしている人がいます。でも私は機能性にすぐれていて、あれもこれもできるというのは「不便」だと思っています。あれもこれもできるから、そこに迷いが発生する。できることが限られているならまっすぐに進むだけ。

野菜炒めを作れる人生と、野菜炒めを作れない人生は、きっとそう大差はありません(IHでも野菜炒めっぽい何かは作れますが)。ただ野菜炒めが選択肢にあると、他の料理と迷ってしまう時間ができるわけです。その時間は少しでも短いほうがいいと私は考えます。

今日は何食べようとか、今日は何を着ようとか本当にどうでもいいなと思うんです。そんなことに時間を使うくらいなら自分を成長させられる何かに時間を使いたい。もちろんファッションが好きとかそういう仕事をしているとかなら話は違います。あくまでも私の人生においての話です。

できるだけ選択肢を減らすこと。20代なら選択肢は多いほうがいいかもしれませんが、40代も後半になってあれもこれも選べる環境にいるというのはあまりにも未熟。不惑という言葉があるように、40代になれば迷うことなく自分のやるべきことだけをしっかりと見つめる。

それはランニングトレーニングも同じ。あれもこれもやった結果、何ひとつ身についていないというのでは困ります。これと信じたやり方を貫き通すことが大切。もっと大切なのは「何を信じるか」ですが、そこで迷うくらいなら何でもいいから信じて突き進むこと。

できるだけ無駄を削ぎ落とし迷うことを減らす。残された時間を意識する歳になってきたから、その時間を無駄にしたくないんです。今日が永遠に続くわけじゃない。確実に老いていくわけで、そう考えればやるべきことは絞っておくというのが、いまの私のベースとなる考え方。さて次は何を処分しようかな。

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