映画「舟を編む」を観て思うことあり

「舟を編む」ポスター

「舟を編む」ポスター

働くってなんだろうなとずっと考えている。おいらが社会人になったのが2000年。働くことについて考え始めたのは就職活動の頃からだから、かれこれ13年近く働くことの意味を探している。そういうのって社会人になって数年でいつの間にか忘れてしまうことなんやろう。でも、おいらは特定派遣という働き方で社会人をスタートさせたからか、その疑問を忘れることはなかった。人はなぜ働くのだろう?自分が手がけている仕事にどんな意味があるのだろう?この仕事は自分でなければどういう結果になっていたのだろう?そんなことばかり考えている。

仕事に対するスタンスそのものはいつも変わらない。どんな仕事であれ全力を尽くす。でも、仕事そのものにやりがいを感じたことは一度もない。おいらのスキルが機械設計に向いているから、そして機械設計に縁があっていま仕事をしているだけだ。縁がなければいまはきっと違う仕事をしていたんだろうと思う。もし高校時代に好きだった子と付き合えてたりしたら、おいらは理系クラスではなくて文系クラスに進んでただろう。人生なんてそんなことで簡単に方向が変わってしまう。

そうは言うものの、おいらは一生かけてやり遂げる仕事というものに憧れている。少し前に小説「天地明察」を読んだあとに同じようなことを前のブログで書いたのを覚えている人もいるかもしれない。今日また同じことを書いているのは、「舟を編む」の映画を観てきたからだ。「舟を編む」は三浦しをんさんの小説が原作で、おいらはまだその本を読んでいない。でも映画だけでも十分においらに訴えかけてくるものがあった。「お前はいまのままでいいのか?」そう問われている。いや、社会人になってからずっとおいらは自分自身にずっとそう問うてきた。向いているというだけで今の仕事だけを何十年も続けるのか。

その結果の独立だったり転職だったりをしてきた。機械設計から離れるチャンスは何度かあったけど、そのたびに引きづられるように機械設計の世界に呼び戻された。そういう意味ではおいらは機械設計の世界でなんらかの成果をあげなくてはいけない運命なんだろうと思う。一方で、自分の可能性をそこだけで終わらせるつもりもない。機械設計は仕事ではなく生業だ。生活をしていくための職業で、男が一生をかけて向き合う仕事とはまた違う。寝食を忘れて向き合ってもまったく疲れもしないどころか、気持ちが高揚していくもの。自分の血が抑えきれないほど熱くなれる仕事をおいらは探している。

「天地明察」も「舟を編む」も主人公が一生をかけての仕事に取り組んでいる。1日頑張れば、1週間頑張れば完成するような仕事ではなく、何年も何十年もかかるかもしれない、終わりの見えない頑張りを必要とする仕事に取り組んでいる。そういう生き方を純粋に羨ましいと思う。もちろん小説の世界なので現実がそんなに甘くないことはよくわかっている。でも、おいらひとりぐらい現実の世界で理想を追ってもいいじゃないかとも思う。

両方の映画の主人公に共通して、おいらに共通しない決定的な違いがある。それが自分を支えてくれる相方の存在だ。何かに全力で取り組むのは自分の力だけでは限界がある。陰となって支えてくれる人がいて初めてひとつのことに全力を注ぎ込める。そしてこれは偶然のようで偶然でないんだろうけど、両方とも映画では宮崎あおいさんがその相方の役だ。いや、別に宮崎あおいさんが好みなわけじゃないよ。えっと…なんの話だっけ(笑)そうそう、支えてくれる人って偉大だっていう話ね。

ただ、支えてくれる人がいないから一生をかけての仕事に取り組めないっていうのは本末転倒というか筋が違うというか。おいらが本気で何かに取り組んだら、支えてくれる人は自然に出てくる。それは恋愛とは無関係の人かもしれない。無関係である可能性のほうが確実に大きい。仲間だったり、スポンサーだったり。きっと宮崎あおいさんの役というのはそういう「支えてくれる人の象徴」なんだろう。物語的にヒロインであるほうが面白いからそうなっているだけだと勝手な解釈をしておこう。全力で何かに取り組めば支えてくれる人は運命的に出会える。だから心配せずにやりたいことと全力で向き合いなさいってことなんだろうな。

言い訳せずに、自分のやりたいことやるべきこととしっかり向きあおう。彼らを羨ましく思っているだけじゃ一歩も進まないんだし。

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