努力が報われる社会が本当に理想なのか【報われないから面白い】

都内でUberEatsの配達中にある議員さんの車から「努力が報われる社会を目指して」というニュアンスの演説が聞こえてきました。「努力が報われる社会って何?」と聞いてみたくなりましたが、聞いたところでまともな答えなど返ってくるわけもないので、大人しくスルーしましたが、やっぱりモヤモヤするので私なりの考え方をまとめておきます。

別にこれが正しいというわけではありません。そういう考え方もあるんだなくらいに思っておいてもらえれば。むしろ世の中の考え方からすると異端だという自覚もあるので、間違っても私の考え方に影響などされないようにしてください。自分の属するグループにおいて鼻つまみ者になってしまっても、私は責任を取れませんので。

目次

すでに努力が報われる社会ではないだろうか

議員さんがどのような思いで「努力が報われる社会」と言ったのかは分かりませんが、その前提にあるのが「今は努力が報われない社会」ということではあります。まずはそれが本当なのかどうかについての考察。私の基本スタンスは「努力が報われないということはない」というもの。ただ、自分の願った形とは違った形で報われるだけで。

それについてはまた後で書くとして、よくある格差社会のようなケースを例に挙げましょう。ある人は毎日遅くまで働いているのに残業代も出ず、生活保護を受けるよりもひどい暮らしをしているとしましょう。こんなに頑張っているのに報われない。そんな世の中をなんとかしたい。なんとなくイメージはつきます。では、その人はなぜ職を変えないのでしょう。変えてもどこも同じ?その仕事の先に夢がある?

アニメーターのような仕事は、月収の手取りが10万円に届かないみたいな話を聞いたことがあります。そこに留まるのは、希望がどこかにあるからですよね。続けていけばどこかで逆転できる芽があるから働き続けている。そうでなければ、フリーターにでもなったほうがマシです。東京なら時給は1,000円以上で1日8,000円。30日働けば24万円です。UberEatsならもっと稼げます。

ちゃんと働いたら働いただけの収入を得られる環境は用意されているんです。低賃金の職場は問題があるように思えますが、別に奴隷契約を結んでいるわけではありません。フリーターをしながら、自分の作品を作ってYouTubeにアップしたら、それこそ一攫千金も狙えます。そこでヒットしないようなら、その程度の才能しかないんです。

場はちゃんと用意されています。「いい学校に進学して、いい会社に入って」という価値観からすると、報われないのかもしれませんが、すでにその価値観が崩壊しているのに、その視点でだけ語るのはフェアではありません。

努力の量を測れないのに平等に報いることはできない

努力を語るときによくある間違いが、短期的な努力だけを見るというもの。「あの人は一生懸命働いてるのに報われない」という言葉はよく耳にします。ではその人は、子どもの頃から真面目にコツコツと勉強してきたでしょうか?積み重ねてきた努力の総量は誰にも負けないと言えるでしょうか。もしかしたら、ものすごい勉強をしてきたのに報われない人もいるかもしれません。でも、多くのケースで努力の総量が違います。

そもそも、努力を数値化して測ることができません。「あの人は頑張ってる」「私はすごく頑張ってる」それはすべて主観。それも「いま頑張っている」だけ。同じ1時間勉強をしたとしても、その密度には違いがあります。なのに大抵はどれくらいの時間をかけたかで評価されます。それ以外の物差しがないから仕方ないのですが、1時間に100単語覚えた人と、1時間に10単語を覚えた人の努力が同じわけはありません。

それは才能の差だから……と言うかもしれませんが、じゃあその才能は持って生まれたものなのでしょうか?前者が寝る間も惜しんで、自分なりの勉強方法を見つけたのだとしたら、それは才能の差ではありません。目先の頑張りだけで評価をしないことです。過去から何十年も積み重ねた努力と、大人になってから数年積み重ねた努力が同じ結果を生み出すわけもなく、得られるものに差があって当然です。

努力の量を数値化できないのに、どうやって平等に報いることができるのでしょう。どういう報い方をしても不平等になります。だったら政治がなんとかすることではありません。国はセーフティネットだけ用意して、あとは本人たちに任せればいい。もう国がモデルケースを示せる時代ではありません。

努力の方向が間違っていることもある

スポーツの世界でよくあるのが、努力の方向が間違っているケース。スポーツの世界ではスポ根がいまだに根付いていて、とにかくがむしゃらに練習した人の方が頑張っている、努力していると評価される傾向にあります。でも結果が出ないというのはよく聞く話。そこも才能の差で片付けられることが多いのですが、確かに才能の差はありますが、多くのケースで、やってることが間違っているだけ。

これまでの慣習としての練習をただこなしているだけ。そんな練習をいくら積み重ねたって、他の人も同じことをやっているわけです。みんなが当たり前にやっていることを、同じ量もしくは少しくらい多くやることを努力とは言いません。自分にとって本当に必要なことを見極めて、それを効率的に積み重ね続けることを努力と言います。そのためには「考える」ことが求められますが、大抵は与えられたメニューをこなすだけ。

これは仕事でも同じです。自分なりの創意工夫も最適化もなく、過去の仕事と同じことをくりかえるだけ。それはやっていることはロボットと変わりません。成長などするわけもなく、結果が出なくても仕方ありません。これを報われるべきというのはもちろん間違い。「出来るだけ早く東京から大阪に向かいなさい」という課題に、東北新幹線に乗ってしまうような人が報われる理由などないんです。

ただ、この間違った方向への努力は思わぬところで芽が出ます。これが人生の面白いところ。間違った方向でも、その努力が本物なら別のところで必ず結果につながる。これを語る人があまりいません。私は学生が何かに熱中した方がいいのはこれがあるからだと思っています。私はサッカーに熱中しましたが、その時の取り組み方が今のランニングにも活きています。何でも挑戦すべきというスタンスもサッカーを本気でやってきたからこそ身についたもの。

勉強も同じです。最近は「三角関数なんて社会に出たら役に立たない」なんて政治家までもが言い出しましたが、大事なのは三角関数を使えるようになることではなく、それを習得するまでの過程にあります。それは暗記だったり、ひらめきだったり、粘り強さだったり。そこに本気で向き合ったから、社会人になってから仕事ができるようになります。何を学ぶかだけではなく、どう向き合うかも勉強では大切。人生のどこかで報われるために。

報われない社会の方が面白い

ここまでは努力が報われるというスタンスの話をしてきましたが、ここで一気にひっくり返します。私は「努力は人生のどこかで報われる」と思っていますが、それと同時に「報われないから面白い」と考えています。努力が正しく報われるなら人生は「1+1=2」にしかなりません。1の努力を2つ積み重ねたら、その成果が2になる。そんな当たり前の人生のどこが楽しいのでしょう。

そもそも全体のパイは決まっています。100を5人で分けるとします。全員の努力が1なら分け前は20ずつです。そこでAさんが2の努力をして他の人が1のままなら、Aさんの分け前が増えるべきですが、そうすると残りの4人の分け前が減ります。それが嫌ならみんな2の努力をしろということになりますが、もしみんなの努力が2になったら、分け前は20のままです。努力したのに報われません。

努力が報われる社会ではみんなが努力したら誰も報われません。実際には努力に差があるから、報われる人もいて報われない人もいる。そして運も影響しますし、才能だって無関係ではありません。世の中は「1+1=2」とは限らないんです。だからこそ未来に期待できるし、「いつかは」という気持ちも湧いてきます。不確定だからこそ、不透明だからこそ人間は頑張れます。

実際問題としてプロ野球選手になれる人数には枠がありますし、オリンピックに出場するにも枠があります。甲子園で優勝できるチームは春夏1校ずつしかありません。全員が報われるなんてことはありえません。ただ、報われなかったとして、そこにドラマが生まれます。

悔しさや無力感。それがあるから、私たちは笑うことも楽しいと思うこともできます。不条理なことを経験して前に進むこともあります。頑張ったら頑張っただけ報われるなんて、将来の年金額を数えながら生きるようなもの。少なくとも私はそんな生き方はしたくありません。いいじゃないですか報われなくても。

大事なのは報われようが報われまいが、それを受けてどう生きるかということだけ。報われなくても、報われても人生はそこで終わるわけではなく、むしろそこがひとつのスタート地点。思い通りにいかない人生を楽しもうじゃないですか。努力は報われるためにするのではなく、人生を楽しむために充実したものにするものです。

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