寒い日に裸足ランニングをしない理由

日没前でも裸足で走るのが厳しい季節になってきました。わたしは裸足ランナーですが裸足で走ることにこだわりはありません。裸足で走ることはわたしにとってのランニングのベースですが、選択肢のひとつでしかありません。

だから寒い日に裸足で走ることはほとんどないのですが、いまだに「冬はどうやって裸足で走ってるのですか?」と聞かれることがあります。なぜ裸足で走ることが前提なのか、いつも疑問に感じています。そこで、今日は寒い日に裸足で走らない理由について説明しておきます。

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目次

苦しみに耐えるために走っているわけではない

まず伝えておかなくてはいけないのは、わたしはランニングに苦しみを求めているわけではないということ。苦しみを耐え抜いてゴールを目指すといった、スポ根のようなものはマラソンどころか、人生そのものにも一切求めていません。

もちろん目標達成のために、苦しい思いをすることはあります。でも、苦しむことが目的ではありません。自分の目指すべきところがあり、そこに到達するのに必要であれば苦しみとも向き合いますが、必要のないストレスは避けて生きています。

冬の冷たい路面を、痛い思いをしてまで得たいものは何もない。だから、冬の寒い日に裸足で走ることは考えもしません。裸足で走るつもりで公園に行っても、途中で冷たさが痛みに変わったら、すぐにシューズを履きます。

そこで耐えれば、ある程度は慣れていきます。でも、北極や南極を裸足で走れるようになるわけではありません。100歩譲ってそうなれるとしても、わたしはそこが目的地ではないので、やはり耐えることはありません。

痛いというのは体の出した警告

人間には痛覚があります。それは必要だからあるわけです。棘のあるものを強く握りしめたとき、痛いと感じるから手を緩めます。そこに痛みがなければ、さらに強く握りしめることになり、手に傷を負ってしまいます。

冬の冷たい路面を走るとき、痛みは痛点ではなく冷点で感じます。冷点は冷たさを感じる点で、10℃以下になると冷たいという感覚は「痛い」に変わります。

人間の体は皮膚の温度が25℃よりも下がると、血管が収縮して十分な酸素を送れなくなってしまいます。15℃以下になると体内の組織が変質しはじめると言われています。実際に変質があるかどうかまでは調べきれていませんが、少なくとも15℃以下になると侵害受容器が反応します。

なぜそうなるのか。答えはとてもシンプルで「体に害があるから」です。痛みは体からの警告です。「この状態を回避しないと大変なことになる」と伝えてきているわけですから、一刻も早く安全な状態に戻す必要があります。

体は過剰反応する傾向にあるので、多少の警告は無視してもいいとは思いますが、どこまでも無視をしていいわけではありません。凍傷になってからやめたのでは遅いわけです。

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痛みに反応するのは弱さではない

冷たい路面を裸足で走るということに限らず、ランニングでは様々な痛みを体験することになります。この痛みを乗り越えることが大事だと思っている人も多く、日本において根性論というのはかなり根深い問題になっています。

繰り返しますが「痛い」は体の警告です。どんな理由があっても回避しなくてはいけませんし、我慢する必要もありません。痛いから泣くというのは我慢しましょう。大人ですから。痛みを感じたら立ち止まり、少し休ませて同じ動きをしてみる。それで痛みが再発したらストップです。

痛みに反応してやめてしまうのを弱さと思うかもしれませんが、むしろストップできないことが弱さです。自分の感覚に自信を持てず、そのまま継続するのは弱さ以外の何物でもありません。

一流の登山家は山頂がすぐ目の前にあっても、嫌な感じがあった場合には、登頂を諦めるそうです。周りの人からすると、それを臆病だと感じるかもしれませんが、危険を察知したのに引き返せない人はいつか山で命を落とします。

ランナーも同じです。走っていて痛みを感じたら、いや痛みを感じそうになったら止まる必要があります。なのに裸足で足裏が痛いのに走り続けるというのは、過信でしかありません。

痛みを感じたところを境界線にすればいい

裸足ランニングにハマっている人は、裸足を万能だと思いこむ傾向にあります。1歩も走れなくなったのに、裸足ランニングに取り組んで走れるようになったという経験をしていることが多く、シューズが悪で裸足が正義という思考になっている人がたくさんいます。

でも裸足は何でもできるわけではありません。物理的にタンパク質で作られている以上、できることに限界があります。どうやっても40℃を超える路面の上を走り続けることはできません。-5℃以下の路面で凍傷を防ぐこともできません。

どこかで必ず限界がくるのだから、痛みを感じたところを境界線にすればいいというのがわたしの考え方です。

痛みに耐えて、耐えきれなくなったところを境界線にする。そういう考え方もありかもしれませんが、その先に何があるのか、わたしにはわかりません。少なくともわたしにとっては「走ること>裸足ランニング」なので、裸足ランニングで無理をして走れなくなるのはNGだと考えています。

だから、わたしは寒い日に裸足で走ったりはしません。それでも走るという人を否定もしません。「自分は自分、他人は他人」同じ裸足ランナーでも、みんなが同じ道を走る必要はありませんから。

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