いまさら宣言するようなことでもありませんが、わたしはApple製品が好きです。初めてMacに触れたのは、MacBookのモニターに当選したときのことでした。応募したのも忘れてて、「Appleに呼び出されたけど、詐欺じゃないだろうか」とビクビクしながら初台のAppleに出かけたのを覚えています。
現在手元にあるアップル製品はiPhoneとiMac、MacBook AirそれにiPadです。これでも正直控えめなほうで、懐事情が許すのであればApple Watchだって欲しいですしTime Capsuleも欲しいというのが本音です。
そんなあAppleから新しいMacBook Proが発表されました。これまで以上にコンパクトで軽量なMacBook Pro。そしてMacBook Airの11インチがなくなったようです。
MacBook AirはMacBookが発売されて、その存在意義がなくなってきたのでしょう。近いうちに13インチのMacBook Airもラインナップから消えてしまいます。新しいMacBook ProとMacBook Airの重量差は数十グラムしかありません。
今回の発表を受けて、Appleのひとつの時代が終演を迎えたように感じているのは、おそらくわたしだけではないはずです。それではWindowsに変えるかと言われると「それは絶対にない」とわたしは断言します。
MacとWindowsなんて道具の違いでしかないと思うかもしれません。ただ、物書きという仕事をしていると、MacとWindowsでは出来上がる文章がまったく違います。これは初めてMacを使ったときから感じていることです。
最大の理由はフォントにあるのですが、フォントなんて自分で変えればいいじゃないかと、パソコンに詳しい人たちはきっと反論するでしょう。たしかに正論ですが、魂は細部に宿ります。フォントにこだわれないWindowsは他の細部もいちいち美しさがありません。
そういう小さなところが、物書きをするときに影響を与えます。そんな素晴らしい文章を書いているわけじゃないと思われるかもしれませんが、Windowsで書けばこれよりもひどい文章になります。まだ読むに耐えられるのはMacを使って書いているからと断言します。
別にWindowsが悪いと言っているのではなく、わたしとの相性が良くないと言っているだけですので、Windows好きの人は気を悪くされないでください。わたしだってWindowsで育った世代ですから。
Windows好きを喜ばせるわけではありませんが、Appleは間違いなく輝きを失っています。方向性も疑問符がつくことも多々あります。ただ、物を書くという仕事をする上で、Mac以外の選択肢をわたしには見つけることができません。
10年後、20年後にはもっと違うデバイスを利用している可能性はあります。パソコン自体がすでにパーソナルなものとしてはスマホに取って代わられました。仕事でパソコンを使っている人以外は、スマホやタブレットで十分です。MacやWindowsを必要としているのは情報のアウトプットをする作業だけです。
頭のなかにあるものを形にするためにはまだタブレットでは不足で、キーボードやマウスが便利です。データ入力なども同様です。おそらくこれは新しい入力方法が生み出されるまで変わりません。
音声入力の精度も高くなってきましたが、音声入力よりもキーボード入力のほうが早いし、何よりも疲れてしまいます。ボケ防止には音声入力が良さそうですが、無口なわたしにはきっと向いていません。
以前は新しいMacが発売されるたびにワクワクしていましたが、もはやパソコンの発売にワクワクする時代ではないのかもしれません。10年前は数年型落ちのパソコンは骨董品扱いでしたが、最近は5年近くは同じコンピュータを使い続けることができます。
コンピュータの世界、Macの世界では劇的な変化は当分起こらないでしょう。ですので「いまのが動くからこのままでいいかな」となります。新しいものが出たから購入するという心理は、長いデフレ期を過ごしてきた日本人にとっては過去の思考でしかありません。
スマホだって「ポケモンができないから買い換える」くらいまで使い続けます。2年毎に機種変しているのはバッテリー交換のできない機種を選んだ人くらいではないでしょうか。これがいいことなのか悪いことなのかはわかりませんが、日本の家電業界が一気に縮小していることを考えると経済的には大きな損失なのかもしれません。
最新のアイテムを持っていることを周りが「すごい」と言ってくれる時代でもありません。むしろそのアイテムを使って何をするのかが重要視される時代になりました。ブランド物のカバンや財布を持っていても「ふ~ん」くらいにしか思われない時代です(一部の人たちはまだブランド志向があるようですが)。
そういう意味では、わたしが書いた文章がWindowsで書かれようがMacで書かれようが、読み手にとってはどうでもいいことです。重松貴志が書いたということすら大切ではありません。できあがった文章がいいものなのか、そうでないのかだけが重要視されます。
ある意味いい時代です。
目の前にある中古で購入したiMacのキーボードでカタカタ文字を打ち込みながら、そんなことを考えていたわく枠のない新しいMacBook Proの発表日でした。
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