将棋の世界には「新手一生(しんていっしょう)」という言葉があります。次々と新しい1手を繰り出した升田幸三名人が常に口にしていた言葉です。わたしがこの言葉に出会ったのは漫画の「あさひなぐ」でした。
ちょっと前から興味を持ち始めた乃木坂46のメンバーが出ていた映画があさひなぐで、そこから漫画を読んでいるのですが、個人的に好きな漫画のトップ3に入ります。トップ3知りたいですか?
興味ないとか言うもんじゃないです。
・あさひなぐ
・俺達のフィールド
・スラムダンク
全部スポーツものですね。これにバガボンドとクローズシリーズが入ったのがベスト5(誰も特にならない情報ですが)。わたしは意外と漫画を読みます。そこから学べるものが間違いなくあるから。
今回の「新手一生」というような知らない言葉が心に刺さることがよくあります。影響を受けやすいタイプのわたしは、そこそこ漫画からインスピレーションをもらって42年を生きてきました。
新手一生は様々な解釈があり「新手一勝」と言われることもあります。どんな新しい1手も1勝にしかならないから、常に新しい1手を考えなくてはいけないという解釈。
でもわたしが気に入ったのは、あさひなぐで描かれていた「新手一生」です。
自分であみ出した技は極めるのは難しく、それでいて正しい保証もありません。自信も失いやすいけどそうやってやり続けたらオリジナルになる。一勝の財産になるというニュアンスのことがあさひなぐに書かれています(あさひなぐ26巻)。
ひたすら自分の思うように走りを追求している自分にとっては、ものすごく心に響く言葉です。
わたしのランニングはほぼ完全に独学で、裸足にいたってはきちんと裸足を極めた人からは何も学んだことはありません。学びたいと思ったこともありません。
自分の体の声をきちんと聞いて、それに従って走っていればいい。それはとても効率の悪いことですが、別に世界一の裸足ランナーになるのがわたしの夢ではありませんし、裸足に対するこだわりがないことはみなさんの知っての通りです。
わたしの家には10足のランニングシューズがありました。一昨日1足加わったので今は11足です。シューズのレビューをしている関係上仕方ないのですが、何よりもわたしはシューズが大好きな裸足ランナーです。
このスタイルだってほぼ誰もしていません。裸足ランナーはシューズを嫌い、シューズランナーは裸足になることに怯えます。そんななかでわたしは裸足ランナーでありながら、シューズを履く喜びを知っています。
わたしが裸足だけを追求したら、これまで裸足で走り続けてきた偉大な先輩たちの後追いでしかありません。それは新手ではありませんし、ただの借り物の言葉、借り物の技術が身につくだけです。
ただ、新手を考えるには嫌になるほどの失敗を繰り返し、それでいて基本となる型を徹底して自分のものにする必要があります。古今東西、本物のファンタジスタというものは、みんな基礎がしっかりしています。
コロンビアサッカー界の英雄であるバルデラマ選手は、インサイドキックの名手でした。インサイドキックというのはサッカーの基本中の基本となるキックで、彼はほぼすべてのパスをインサイドキックで出します。
積み重ねた基本の上にだけオリジナルが成り立つ。オリジナリティについて考えるとき、わたしはいつもバルデラマ選手のことを思い出します。オリジナルというのは決して奇抜なことではなく、基礎の積み重ねの先にあるもの。
基本が出来ていないのにクリエイティブになれる可能性は1ミリもありません。
そして基本を嫌というほど積み重ねたところで試行錯誤を繰り返す。他の誰もがしようと思ったことのないこと。それも奇をてらうのではなく、理論的に正しいのに誰もしていないことを追求する。
理論的に正しいと思えるのは、やはり基本を積み重ねてきたからこそできることです。
だからわたしは毎日コツコツ走ります。いつどんなひらめきが降りてきてもいいように、集中して自分の体の声を聞こうとします。その先に自分だけのオリジナルがあると知っているから。
もっとも新しく始めることの9割以上は失敗します。でもその失敗すら糧なわけです。失敗したから次に進める。失敗しなければずっとそこに立ち止まったまま。
本はいつだって、自分の必要とするときに出会えます。きっとそれは漫画でも同じこと。このタイミングであさひなぐを読んでいるのは、今の自分に必要だから。
新手一生。なかなか上手くいかないことばかりですが、誰かの生み出した一手を後追いするのはわたしの役割ではありません。ジタバタしてもがきながらも、オリジナルを目指せる人間でありたい。それがわたしの目指すべきところだと信じています。
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