日曜日、近所のショッピングセンターでヒーローショーをやっていました。子どものころは本気でヒーローショーの悪役が怖くて、ヒーローをおびき寄せるために悪役が子どもを何人か拉致するんだけど、絶対に捕まらないように遠くから見るしか出来ないほどのビビリだったのを思い出しました。あの頃からビビリなのは変わりませんが、さすがにヒーローショーをこわいとは思わなくなったようです。しかし子どもはなぜあんなにもヒーロー好きなのでしょう。そういうわたしにも自分の中のヒーローがいたのですが。
わたしにとっての最初のヒーローは聖闘士星矢です。もちろん戦隊ものだとかウルトラマンシリーズとかいろいろと見ていましたが、それはわたしにとってのヒーローとは違うものでした。どこがどう違うのかはうまく説明できません。勧善懲悪というのは、あまりにも出来過ぎていて、リアリティがなかったのかもしれません。そのわりにはビビってましたし、聖闘士星矢のどのあたりがリアリティなのかと聞かれると心苦しいかぎりです。
基本的にわたしは主役が好きです。アカレンジャーが好きですし、聖闘士星矢でも当然のように星矢がお気に入りでした。何度倒されても敵に向かっていく姿は、どんなコースにも向かっていくランナーとしてわたしの中に受け継がれています。ところが、その聖闘士星矢にはもう一人お気に入りのキャラクターがいました。紫龍というキャラクターです。聖闘士は聖衣(クロス)と呼ばれる防具を着ているのですが、紫龍はことあるごとにその聖衣を脱ぎ捨てるのです。Googleで紫龍と検索すると「紫龍 脱ぐ」というキーワードが出てくるほどです。
彼の魅力は「まっすぐ」なところにあります。仲間を大切にし、決して自分を曲げない。頑固といえばそれまでだけど、自分が信じるものにまっすぐ向き合う姿が当時のわたしに大きな影響を与えたような気がしてなりません。
また彼は2度ほど失明します。最初は見たものを石に変えるという「メデューサの盾」を持つ聖闘士との戦いで、勝利のために自ら両目を突き刺し失明しするのです。ほかにも死にかけることも一番多かったような気がします。防具である聖衣を脱ぎ捨てるのですから当然の結果なのですが。でも、命が尽きそうになるギリギリのところまで限界を求める姿は、わたしにとってのこれぞ「男」と思うところでもあります。
冷静に考えると紫龍を好きだったのは黒歴史のようなものですが、命がけで何かを成し遂げようという姿はやっぱりかっこいい。紫龍や星矢だけでなく、自分よりも明らかに強いものに向かっていく姿はいまでもわたしの理想です。敵役もわかりやすい悪ばかりではありません。それぞれに正義があり正義vs悪の構造だけではなく、ときとして正義vs正義という構造の争いはわかりやすい勧善懲悪に馴染んだ子どもには新鮮だったのかもしれません。
この後、年代とともにヒーローが移り変わっていくのですが、そのへんはまた後日書くとしましょう。本当はまとめて書くつもりが聖闘士星矢で気持ちが盛り上がりすぎてしまいました。次に誰が出てくるか、乞うご期待。
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