
SNSやニュースで「コロナと戦う」「コロナに勝つ」という表現をしている人をよく見かけます。わたしは物書きという職業に就いているのに、想像力が著しく欠けるようで、どうも「ウイルスと戦う」ということに関して、上手くイメージできません。
もぐらたたきゲームのように、穴から出てきたウイルスを叩けるわけではありませんし、自分自身がウイルスを攻撃するということを想像できないので、「コロナと戦う」と言われてもピンとこないわけです。籠城戦というのであればわからなくはないですが、基本的にウイルスからは「逃げる」か「守る」しかないので。
守ることが戦いだと言われればそうかもしれませんが、そもそもわたしは戦うのが好きではありません。それは人に対してだけでなく、すべてのものに対してです。争うぐらいなら逃げるという道を選んできました。それはこれからの変わらないのでしょう。
じゃあ新型コロナウイルスと共存していくべきかというと、それもまだわかりません。共存できるかどうかではなく、共存しなくてはいけない可能性はありますし。全滅させることができるのかもしれませんが、それはわたしの戦いというよりは、専門家の戦いだと思っています。
だからわたしは、これを「自分の弱さとの戦い」だと位置づけしました。
この数ヶ月で、何度も自分の弱さが表面に出てきました。新型コロナウイルス以外のことも影響していますが、2020年は自分が思った以上に自分が弱いということに気付くことになった1年として記憶に残るのは間違いありません。
見えないウイルスに怯えたり、周りの人にいい人に見られようとしたり。ちょっとしたことで心が揺れたこともありました。そういう自分から逃げることなく、理想の自分を目指すための戦いなんだと考えたら、進むべき道が開けました。
- 虚栄心を捨てる
- 自分を信じる
- 心の水面を穏やかにする
- 受け入れる
- 依存しない
- 削ぎ落とす
わたしが目指すべきポイントはこの6つ。書き出してみるとこれまで語ってきたこととあまり違いはありませんね。ただ、それぞれの純度を高めなくてはいけないかなと感じています。そのためには環境の変化も必要ですし、自分の立ち位置も変えることになります。
これまで積み重ねてきたものを壊す作業も必要になるかもしれません。
でもそれが自分に必要なことであり、コロナと戦う意思のないわたしが目指すべきところなのかなと。少なくともコロナと戦う人たちとは思想が違いますし、無理に歩調を合わせると自分に嘘をつくことになります。
言うまでもないとは思いますが、戦うとしている人を否定する気も批判する気もありません。彼らの見ているものがわたしには見えない。同じ絵を描けないから、そのレールには乗れないというだけのことです。きっとわたしのほうがマイノリティ。
誰かと競い合っているわけでもないので、きっとそれでいい。これはわたしの人生なのですから。
具体的にどうするのかは薄っすらとしか見えていません。まずは自分にとっての薄い光を頼りにそちら側に向かうとしましょう。会社を辞めたときだって、そうやって新しい生活をスタートしたわけです。4年後には何らかの形にはなっているでしょう。
その頃に新型コロナウイルスが収まっているのか、それともまた新しい未知のウイルスが出ているのか、はたまた大きな災害が起きてしまうのか、未来のことはわかりません。ただここで舵を切る。弱い自分に勝つために。
正直言えば、思いっきり環境を変えたいところですが、いかんせん住民税非課税所得帯のしがないフリーランスです。とてもじゃないですが賃貸契約の審査に通りません。1回くらい都内で暮らしてみたいというのもありますが。
そうなると地方か……とも思いますが、しばらくは関東から地方への移住はお断りでしょうから、ここを拠点とします。いきなり「北京で暮らす」とか言い出すかもしれませんけどね。まぁきっとそれはもう少し先のこと。
むしろこれから撒く種に花が咲いてからの話です。
そのときに、理想の自分でいられるように一歩を踏み出す。古今東西、いつだってピンチがチャンスでなかったことはありません。騒動が収まったときに違うステージに立つ自分でいられるように、ここからスタートします。