だいぶ緩んでいるように感じます。これが慣れなのか、それとも適応なのかはわかりませんが、半分はもうやってられないという感じなのでしょう。自分が外出自粛をしても、自分勝手に動き回って拡散する人がいて、緊急事態宣言が5月末まで延長される。
納得できないし、やっていることに意味を感じなくなって緩んでいく。人間の心理からすれば当然のことかと思います。だから緩んでもいいという話ではなく、人間の心理という部分をもう少し取り上げていったほうが、みんなが冷静になれそうな気がしています。
「ダメ」と言われるとやりたくなる
人間というのは面白いもので、「やってはいけない」「ダメ」と言われると、なぜかやりたくなるものです。これをカリギュラ効果と呼びます。心理学では心理的リアクタンスとも呼び、選択に制限がかけられると自由を求めて反発するように人間はできています。
鶴の恩返しの話を覚えている人もいると思いますが、「絶対見ないでください」と言われたおじいさんとおばあさんは、耐えられずふすまを開けてしまいます。日本書紀ではイザナミを連れ返すために黄泉の国へ行ったイザナギは、約束を守れず開けてはいけない扉を開けてしまいます。
わたしたち人間には「自分で決めたい」という欲があります。だから上から命令されたり、誰かに決めつけられるとイライラし、ストレスを抱えてしまいます。
ダイエットが上手くいかないのも「食べてはいけない」という禁止事項ができて、自由が奪われることにストレスを感じるからです。だから「たくさん食べていい」系のダイエットが流行ります。禁止事項が少ないから継続しやすいわけです。そのダイエット方法が正しいかどうかは別として。
人を動かすときには、このカリギュラ効果や心理的リアクタンスを意識する必要があります。ところが現在は心理的リアクタンスを無視して自粛要請をするから、徐々にストレスが大きくなり、それに耐えられなくなっています。
心理的リアクタンスを回避して人を動かす方法
この心理的リアクタンスというのは、マーケティングでよく使われています。「本気で取り組める人以外は申し込まないでください」こういうニュアンスの広告を見たことがあるかと思いますが、広告なのに「申し込むな」とすることで読み手の心に反発を生み出して興味を引かせる手法です。
もちろん政治の世界でも心理的リアクタンスはよく知られていますので、ただ「外出しないでください」と言うことが逆効果であることは、すべての政治家が理解しているはずです。そう言われたら反発して外出したくなるのが人間ですから。
ではそうならないようにどうするか。
- 恐怖を与える
- 不安を与える
- 理を説明する
- 情に訴える
通常はこの4つの方法を活用します。
手っ取り早いのは恐怖を与えることです。「外出したら狙撃する」「不要不急の外出をして感染したら助けない」とアナウンスすれば誰も外にでなくなります。ただ、この方法は憲法によりできなくなっています。日本が再び軍事国家にならないように政府の強制力に制限がかけられているためです。
ですので、通常は「感染拡大したら大変なことになる」「大切な人が死ぬかもしれない」と不安を与えたり、外出が危険な理由を論理的に解説したり、国民の情に訴えるような発言をして心を揺さぶりコントロールします。
情に訴えるケースの典型は大阪の吉村知事です。意図的にしているのか、無意識なのかは知りません。恐怖以外で人を動かすにはこれが1番ですが、残念ながらすべての人が動くわけではありません。
日本で足りていないのは論理的な解説です。きちんと説明しないからデマが拡散されるわけですが、論理的な解説が苦手なのは以前からですし、社会においてもよく感じることなので日本人の特性なのでしょう。ディベート文化がない国なので政府レベルでもその必要性を把握していないのかもしれません。
いずれにしても心理的リアクタンスを回避して人を動かすには、相手を見てこの4つをバランスよく使う必要がありますが、全国民が対象ですとそれはほぼ不可能です。できる方法があるとするなら優れたリーダーが出てくることですが、今更ですし、日本という国の仕組みではそういう人が出てくることはありません。
人に動かされるのはストレスになる
いまのこの状態から抜け出すには、全員で同じ方向を向いて協力し合うことが必要ですが、恐怖を与えてコントロールすることができない国において、全員が同じ方向を向くことはできません。良いとか悪いとかいう意味ではなく、日本はそういう国だということ。
政府が恐怖を与えて同じ方向を向かせられない日本ですが、そうなってくると面白いことに同調圧力が強まります。国は何もできないなら自分たちで何とかしようとするのか、それともマイノリティを嫌うメンタリティなのかはわかりませんが、みんなと同じ方向を向かない者を徹底的に叩きます。
これは集団活動を行う生き物の本能なのかもしれません。そこまでは勉強ができていないのでわかりません。興味のある人は論文などを調べてみると面白いかもしれません。
問題なのはこの同調圧力が、わたしたちにストレスを与えるということ。同調圧力はマジョリティがマイノリティにプレッシャーをかけている構図に見えますが、マジョリティも核となる部分にいる人の数はそれほど多くありません。
ほとんどの人は空気を読んで従っているだけ。本当は別の考えがあるけど批判すると叩かれるから大人しく従う。イジメの構図に似ていますね。
自分の本心とは別の動きをする。これはとても大きなストレスになります。本当は自由に走り回りたい。大切な仲間と肩を寄せ合って語り合いたい。うまく心理的リアクタンスを抑え込まれていますが、そもそも自由がないことにストレスを感じています。
こういう状態は長くは続きません。すでに溜まったストレスに耐えきれずに心が壊れてしまった人もいるはずです。その予備軍がどれだけいるのか想像もできませんが、緩んでいる人が増えているのを実感しているので、GW明けくらいからちょっと危険な水域になるかもしれません。
自分の意志で行動を慎む
心が壊れないようにどうすればいいのか。方法は2つあります。1つはこれまでも何度も言い続けている自律神経を整えることです。心が平穏な状態を意識的に作り出すことで、プレッシャーをかわすことができます。
そしてもう1つが「自分の意志で行動をする」ということです。
自粛させられているのではなく、自分の意志で自粛する。そもそも「させられる自粛」は「自粛」ではないという話はありますが言葉遊びをしている場合ではありません。いましておいたほうがいいのは、心理的リアクタンスをなくすということです。
自分で世の中の情勢についての情報収集を行い、これから起きる未来を予測して、自分が何をするかを考え行動する。
自分で納得したうえで自粛をするなら、ストレスにはなりません。誰かに命令されたり、同調圧力に押されるから反発したくなりストレスが発生します。どうせ同じことをするなら自分の意志で行う。そのためには考えなくてはいけません。
自粛する意味を人の言葉ではなく自分の言葉で語れるくらいに。
まとめ
わたしたちは行動を制限されることを嫌う生き物です。どれくらい嫌うかは人によって違うかもしれませんが、少なくとも現代の日本人は制限された状態にいつまでも耐え続けられるように育っていません。自由があることがあたり前の状態でしたので。
だから制限されないようにもっていく必要があります。それは自由勝手に動き回るというのではありません。それをすると同調圧力に潰されます。マジョリティと同じ方向を向く。ただし、誰かに向かされるのではなく自分の意志で向く。
個性を発揮するのはすべてが終わってからにしましょう。政府が強制しなくてもこの国に本当の自由はありません。今は自由を奪われてイライラしている人が溢れていて、自由を選ぶ人を叩く傾向にあります。そこには巻き込まれないことです。
もちろん、こういう状況でも自分を貫くというのもいいでしょう。他人の人生にまでとやかく言うつもりはありません。ただ楽になりたいなら、こういう考え方もあるのだと知っておいてもらえればと思い書き綴りました。