相手の立場になって考えることはできない【ただ諦めてもいけない】

自分以外の人がキロ4分ちょっとで走ってるのをみると、ものすごく速く見えるのですが、私はそれよりも速く走れていたわけで(いまは知りません)、そんなにひどいランナーでもないのかなと。速いことは別に誇れることでもなんでもないのですが、それなりに頑張ってたということで。

問題は1kmのタイムトライアルでキロ3分台になるわけです。そんなペースでランニングコースとはいえ、公園内を走るのはいかがなものか。私は速いつもりはなくても、周りの人は迷惑に感じていた可能性は大いにあります。速く走るのは、人が少ない時間を狙ってやらないといけませんね。もしくはもっと広い場所で走るか。

相手の立場になって考えるというのは、幼い頃から何度も言われてきたことですが、実現するのはなかなか難しいものです。なんせ、本当の意味で相手の立場になるなんてことはできませんから。相手の立場になったつもりの、自分の立場でしかありませんし。

別に相手の立場に立つことが無駄だと言いたいわけではなく、それがとても難しいという話。いや、本質的には無理だという話です。それを知ってるかどうかは、実はとても大切なこと。相手が何を考えているか、相手が何を望んでいるか、それを考えることは大切で、私はこれからもそれを続けていきます。

新しいランニングスタイルを提案するにあたって、自分ではない視点というのはかなり重要になります。どうやっても、自分の価値観がベースになるわけで、それをいかにして薄めていくかを考えなくてはいけません。でも、自分なりに軸は持ってないといけない。何かを提示するのに揺らいでいては信用されません。

旗印は必要で、でもその旗印は滅私でなくてはいけない。誰もが共感できるもので、自分の私利私欲は1ミリもない。そんなこと不可能にも思えますが、じゃあ諦めるかというと、もちろんそんなわけもなく。まだスタートラインにすら立ってないわけですから。今は自分のやり方で進めていくだけ。

でも自分のしたいことではなく、望まれる形での提案でないと意味がありません。これはかなりハードルが高いことで、私の器でそれを実現できるとも思いません。でも、やっぱりやりたいんです。みんなが当たり前のようにランニングする世界を。ランニングのハードルをもっと下げたい。信念とまでは言いませんが、やってみたい。

そのためにまず必要なのは、常識を疑うこと。そして他の人の視点で考えるということ。人間は本質的に何を望んでいるのか。なぜ、ランナーでさえ「走りたくない」「1人じゃ練習できない」となるのか。これはもう、当たり前のように走っている私の思考では、どうやっても答えに辿り着けません。

「人はなぜ走らないのか」これはとても難しい話。少なくとも私にとっては。でもほとんどの人には「人はなぜ走るのか」なわけです。それもお金を払ってまで走るわけです。もう、理解の範疇を余裕で超えています。その立場に今さら立てることはないですが、その視点で考えないといけないという矛盾。

何をすべきかを考えれば考えるほど、八方塞がりなことに気付かされるのですが、だからこそやりがいがありますし、私はこの手の問題を解決できなかったことはありません。取り組んだ問題には必ず答えがあり、悩んでいれば、必ずそこに導かれる。これは機械設計をしていた頃からの、私にとっての基本スタンス。

ただ、ものすごく悩むことになります。考えに考えて、もう無理だと何度も思って、絶望を味わったのちに道は示される。それはとても孤独な作業なのですが、私にとっては嫌いなことでもなく。むしろ、私が私らしくあるための儀式のようなもの。そういえば久しくその儀式をやっていませんでした。久しぶりに悩みなくとしましょう。

きっと鹿児島から帰ってきたくらいに、何か降りてくるはず。もしくは鹿児島で走っているときに。なので気長に悩むとしましょう。仕事もそろそろ落ち着きそうですし。その前に確定申告しなきゃですが……とか言ってたら忙しくなるんだろうな。まあ、それはそれでいいとしましょう。思い通りにならないのが人生ですから。

RUNWAY練習会開催中

効率のいい体の使い方を中心とした練習会を毎週水曜日に日比谷で開催しています。記録が伸び悩んでいる人や、ケガをしにくい走り方を身に着けたいという人のための筋トレ&走り方講座中心のトレーニングを行っています。

日時:毎週水曜日19時〜20時30分
場所:国立競技場外周
参加費:2,000円(第1・3水曜日は無料)
申込:こちら

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次