悩む時間がもったいない!選択肢は少ないほうがいい

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なんでも選べることは自由であったとしても必ずしも豊かさとか幸福感にはつながるわけではない。現代は基本的に職業選択の自由があり、好きな仕事についていいことになっている。世襲制だった江戸時代に比べて圧倒的に自由だ。じゃあ江戸時代の人に比べて現代の人のほうが豊かで人生を楽しんでいるなんて誰にも断言できない。選択肢がたくさんあることが逆に不便になることもよくある話。何を選んでいいかわからず、結局何も買えなかった経験は一度や二度ではないはずだ。

北京に行って日本に戻ってくると日本の多様性は本当にすごいなと思う。中国はたくさんのモノがあるけど、どのお店でも売っているものは同じだったりする。個性的なモノが手に入りにくい。だからと言って不都合があるわけではない。逆に日本でTシャツを1枚買おうとするとデザインが無数にあって、とてもじゃないけど決めきれない。もちろん不都合はない。ただ、この悩んでいる時間って無駄じゃないかなと思うことはある。

30代も後半になってきて、わたしは選択肢を減らす暮らしを好んでいることに気づいた。たとえば普段着はsousouか無印良品でしか買わない。絶対に他では買わないというしばりはないが、あえて他のお店に入ることは皆無と言っていい。アウトドア衣類はまずHAGLOFSで検討し、なければモンベルで買う。アウトドアグッズならスノーピークがファーストチョイスでなければやはりモンベルになる。

平日の朝ごはんは基本的に玄米ご飯と味噌汁と納豆。たまに気分を変えてパンやシリアルを食べることもあるけど、玄米ご飯と味噌汁と納豆がベースであることには違いない。朝ごはんに焼き魚とか玉子焼きとか、以前はそれなりにメニューを変えたりしていたが、そこにエネルギーを使うのがめんどくさく感じるようになり今の形態に落ち着いた。何も考えずに朝ごはんの準備ができてすごく楽だ。

小説はほとんど決まった作家さんの本しか読まない。あとはPapyrusという幻冬舎の文芸誌を隔月で購入しているぐらいだ。世の中には本当に多くの作家さんがいるのだけれども、そのすべての人の本を読むことは出来ない。ならば、その人が伝えようとしていることが自分のフィーリングに合う人の小説を読む方がいい。小説を読むというのは何もエンターテイメント性だけがあるわけではなく、生き方を学ぶという面もある。師となる作家さんは少ない方がいい。自分をぶらさないためにも。

ガジェットは基本Appleを選び、デジカメはオリンパス。決してこだわりがあるわけではない。選択肢を広げることで悩んでしまう時間を減らすためにわたしが身につけたやり方だ。他に何かを選ばなければいけない時も、まず自分でしばりを決めるようにしている。結局車検を通したが、車を購入しなきゃとなったとき、今回はフランス車でというしばりを設定した。そうなるとグッとわかりやすくなる。漠然と車選びをするのは余程の車好きでなければ無理だ。

もちろん、いま選んでいるものを未来永劫選び続けるというわけではない。必要に応じて選ぶものも変わってくる。それはそれでかまわない。むしろそうあるべきだろう。趣味嗜好は生き方とともに変わってくるのだから。ただ、自分に合わなくなったものに固執してはいけない。わたしはそれらをきっぱりと手放すように心がけている。間違っても選択肢を広げたりはしない。もったいない?わたしにしてみれば悩む時間のほうが余程もったいない。

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