『李香蘭』を知っていますか?


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李香蘭を知っている若者はいったいどれぐらいいるだろう。戦後にテレビ番組の司会や参議院議員を務めた山口淑子さんの戦時中の芸名です。彼女は大正9年に中国東北部に生まれました。そして18歳になった年に李香蘭の名で映画デビューを果たしました。彼女は日本人でありながら中国人女優としてスターとなっていきます。そんな古い時代のこと知らなくて当然かもしれません。でも、知っておかなくてはいけない歴史があると思うのです。日本人にとって満州とは何だったのかは目をそらしてはいけない歴史のひとつです。

満州と聞いて普通の日本人が思いつくのは『満州事変』ぐらいでしょう。歴史の授業でたった一行だけ書かれていたのを覚えていますか。ここから太平洋戦争の火蓋が切られたかのように私は習いました。その背景をまったく教えていないという日本の歴史教育はさすがにまずい気がします。日本は大東亜戦争について議論することはタブー視しすぎてきたところがあります。

例えば、満州国にどれぐらいの満州国民がいたか知っていますか?満州国で暮らす人は3000万人から4000万人いました。ところが法的な意味での満州国民は1人もいません。これがどういうことなのか学校では絶対に教えてくれません。なぜ日本人が満州に移住したのか、そもそも満州とは何なのかわたしが学んだのは大人になってからです。

わたしは中国が好きですが、中国人や韓国人が言う歴史認識については同調できない部分が多々あります。戦争ですから人と人とが殺しあうことはもうどうしようもなかったのでしょう。本当はそれを肯定するのも嫌ですが、少なくとも日本人を体力に殺したアメリカ人をわたしは嫌っていませんし、恨みもありません。日本人が中国人を戦闘により殺したことは「それが戦争だ」と言うしかありません。それでも、日本人が満州で行ったことのように決して無視してはいけない歴史もあるわけです。

張作霖爆殺事件と満州事変。どちらも日本人であることを恥じずにはいられない出来事です。そこには『日本人の誇り』はなく、大和魂などと口が裂けても言えない歴史があります。どちらも相手を陥れるような策略を用いて、稀代の英雄を殺害し、そして満州を占拠したのです。いまの日本がどんなに正義を振りかざしても、中国人にしてみれば「でも日本人って姑息で汚いことしたよね」となるわけです。

ところが日本人はそんな過去を学校では学んでいません。逆に中国ではそれらを誇張して反日教育をしています。このままでは両者の溝は永遠に平行線のままです。

李香蘭こと山口淑子さんは今月の7日に亡くなられました。彼女は戦後、日中関係が改善していくことを願い続け、精力的に活動を続けました。この日中関係が悪化している状態での他界はさぞかし無念だったと思います。それでも彼女の意志がここで潰えてしまったわけではありません。わたしを含め多くの若い日本人と中国人が彼女の意志を継いでいるはずです。わたしは日本と中国の友人があたり前のように繋がり合う時代を作りたい。それがわたしの『Project M』にかける想いです。

 

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