モノを1日1個手放す生活を始めて1ヶ月が経過!

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モノを1日1個手放す生活を始めて1ヶ月が経過した。あっという間だったが、早くもモノを手放すことの難しさに苦しんでいる。最初の数個はポイポイと捨てたり手放したりすることができたのだが、1ヶ月も経過すると「あると便利かも」という感じで手元に残していたのものばかり。まだ清水の舞台というよりは学校の体育館の舞台から飛び降りる程度の思い切りでしかないが、どこかで勇気を振り絞って飛び降りなくてはいけなくなるだろう。

モノを手放す生活をしていると、安易にモノを買えなくなる。本当に必要なものでなければ、また捨てることになるわけで、以前のように思いついたらすぐに買うという良くない流れは断ち切れたように感じる。そして、いますぐ必要なものであっても、他のもので代用できないかと考えるようになる。ちょうどプリンタのインクと用紙が切れたのだが、どちらもコンビニプリントで乗り切った。現段階ではプリンタそのものが不要というわけではない。ただ1年後までに1度は見直しが入るだろう。

こうやって毎日1個ずつ手放すと、わたしたちの身の回りはかなりの数の「あると便利なもの」であふれている。これを文明と呼ぶのかどうかはわからないけど、人間は便利さや快適さを求めて変化を続けてきたわけだ。自分たちの子や孫に大変な思いをさせたくないから、一生懸命働いて暮らしやすい世の中にしていこうとした結果いまがある。物質的な豊かさは過去の歴史に例を見ないほど満たされている。では精神的な豊かさはどうだろう。毎週のように人身事故で電車が止まる国に本当の豊かさはあるとは思えない。

わたしがやっているこの実験は極論によるものだ。極限までモノを減らして暮らせば精神的に豊かになれると信じて、この実験を行っている。逆に便利だからと次々とモノを買っていく暮らしはどうだろう。好きなだけ本を買い、本棚が埋まれば本棚を追加し、そしてまた本を買う。際限なく増えていく本を眺めているのは嬉しくて楽しい時間だったのは間違いない。ところがそれらのほとんどを手放してもなんの不便もないのだ。増えていく本を眺めて楽しかった時間は淡い幻想だったのだろうか。

ひとつだけはっきりしていることがある。流れなくなった水はどんどん淀んでいくということ。どんなにきれいな湧水も流れを止められた水は美しさを失っていく。溜め込んだものはどんなにすばらしいものであってもいい空気を作り出してはくれない。使っていないものを残すことは自らを淀ませていると言っていい。後で使うかも、あると便利かも、そういうものは出番が来たらまた揃えればいい。

モノを手放すことは本当に難しい。そしてその難しさと向き合うことで、モノを手にすることの難しさもわかりはじめた。ただ、本当の苦しみはここからやって来る気がする。残り335日もあると思うと気が遠くなりそうだ。それでも着実に自分の目指した姿には近づいている。マラソンと同じようにコツコツ前へ。それならばわたしの得意分野。慎重かつ大胆にモノを減らしていこう。

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