めずらしく家にいた休日です。ピラティスにさえ行ってません。今日部屋の大掃除をしておかないと年内に大掃除が出来そうになかったので、最高に天気がいい秋の空をうらめしく思いながらもゆっくりのんびり掃除日和を楽しみました。いつからわたしはこんなにアクティブになったのかもう思い出せませんが、たまにはこういうのもいいもんです。
「今日手放すもの」の企画で毎日焦りながら手放すものを探していますが、これだけゆっくり掃除ができると真剣にいるものといらないものを吟味できます。溜まっていた書類の整理もできました。本当ならもう1日かけて必要のないモノを探しだすのですが、それは運良くもう1日余裕ができたらということにしましょう。
片付けながらまだまだ減らしたいという思いと、これ以上減らせるのだろうかという不安を感じました。別にわたしは僧侶になりたいわけでもなければ、極限までモノを減らしたいわけではありません。快適な暮らしを否定する気もなければ、むしろわたしが目指すのはその快適な暮らしそのものです。ただ、アプローチの仕方が「減らす」なだけです。
たくさんのモノがあると、知らないうちにモノに支配され始めます。そのモノがあるために買わなきゃいけないことがあったり、やらなきゃいけないことが増えていきます。わたしで言えば車なんかがまさにそれです。なくても困らないけど、いまは半分惰性で持っているような状態です。車がなければ、メンテナンスも必要ないし、保険も駐車場もいりません。
じゃあ、車を手放せばいいのかというとそういうものでもなかったりします。年に数回でも車があるからできることがあるのだと思うと、踏ん切りがつきません。そしてやはり車はライフラインのひとつです。わたしに何かあったときというよりも大切な人たちの身になにかあったとき、車があるとないのとではできることがまったく変わってきます。
それとは別に、人間にはコレクションする本能があります。収集本能ってやつですね。これは人間が生命の維持のために、万が一に備えて食べものを集めておこうとする本能なのだとか。わたしはコレクションというのは嫌いじゃありません。コレクションにはその人の人となりが見えてきます。万年筆のコレクションとかって知的な感じがしますよね。
わたしの場合は、その対象が本でした。社会人1年目は給料のほとんどが書籍代で消えていきました。仕事の本から小説や漫画。とにかく気になる本を毎週買いあさっては読んでいました。そして手放すことなくどんどんと増えていくのです。増えていく本を見るとこんなにも読んだのだと安心できるのです。あれは美しくないコレクションでした。
いまでも本が大量にありますが、実際のところなくても困らないもんです。コレクションというものはほとんどがそうですね。なくても困らないものがそこにあるのはわたしの感覚では美しくない。39歳にしてようやくわかってきました。自分にとって本当に大切なモノ、自分の生活を豊かにしてくれるモノを見直せる素晴らしい休日になりました。
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