目に見えてモノが減りつつある。そして日々手放すものが徐々に自分の核心に触れつつある。大切な人からプレゼントされたものだが、いまはただそこにあるだけというものに対して、どう向き合っていくのかを自分が納得するまで考えなくてはいけない。考えに考えて手放すのか、残すのかを決めていく必要がある。
わたしにとってプレゼントというものは、自分の手を離れた瞬間、相手の手に渡った瞬間に役割を追えるものだと思っている。わたしがプレゼントしたものを相手がどう扱おうと気にはならない。そのままゴミ箱にいくのを目にすると悲しくはなるだろうが、それはそもそも自分自身のセンスの悪さの問題だろう。
プレゼントというものは相手に喜んでもらうことが重要であって、相手に気を使わせてはいけないし、ましてや困らせてもいけない。粗品をやりとりするこの国の文化は正直理解しがたい。
わたしは人にプレゼントをするのは好きなのだが、実はプレゼントされるのは苦手だったりする。自分自身はプレゼントしたものに対して想いを乗せないのだが、他の人はプレゼントに想いを乗せているので、扱いに困ることが多々ある。その想いを汲み取らなければ、プレゼントはプレゼントとして完成しない。完成しないプレゼントは美しくない。
モノを贈るという行為は実はかなり緻密で高度なセンスを要求される。目的はシンプルだ。「相手に喜んでもらいたい」それだけだ。間違っても見返りだとかを求めてはいけない。相手が喜ぶことが自分の喜びである。ただ、どうすれば相手が喜ぶかについては安易に答えをだすわけにはいかない。
プレゼントをするのが天才的に上手な人もいる。深く考えなくても最適なものをイメージでき、それを嫌味なく贈ることができる。まれにそういう人がいる。正直そういう姿を見ると羨ましい気持ちになる。わたしもあの人のようにスマートな贈り物ができるのようになりたいと思うばかりだ。
ただ、天才的にはなれなくても凡人は凡人なりに悩み考えることで「まさにこれだ」というプレゼントを見つけることができたりする。探しに探した結果、思い描いていた品物に出会えることがある。その時間というものは決して無駄な時間ではない。誰かのことを考えて真剣に悩めるの時間があるというのは素敵なことだ。
そんなわたしは今日、Buffの販売をしている会社の方からBuffをプレゼントされた。このページのトップの画像がそのBuffだ。わたしたちは万里の長城マラソンモデルのBuffを大会で販売することを計画している。実はわたしがBuffの販売をしようと思ったきっかけも、アメリカに住む友人がプレゼントしてくれたBuffだった。
そして、わたしたちが販売するBuffがまた誰かへのプレゼントになり誰かを喜ばすことになれば最高に面白い。もちろん、わたしも自分自身で購入し、大切な人へのプレゼントにするつもりだ。
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