人生の豊かさは、どれだけ誰かのために一生懸命になれたかで決まる

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明日からネパール支援「NEPAL×JAPAN プロレスのチカラプロジェクト」「NEPAL×JAPAN ハシリのチカラプロジェクト」のためにラン仲間と中国地方、関西地方、東海地方を回ることになっている。明日の夜出発し、土曜日に島根、鳥取、神戸、大阪と訪問し、日曜日は大阪、奈良、名古屋、静岡という順で東京を目指す。

移動が壮大すぎて頭がついていっていないのだが、とにかくやる。やってから考える。いま決めているのは関西方面に行ったときには、万里の長城マラソンのパンフレットを置いてもらったお礼にショップ訪問をするということぐらいか。「NEPAL×JAPAN ハシリのチカラプロジェクト」そのものはまだ何も描けていない。

ただ、こういうことは頭でいくら描いても仕方がないのだ。チャリティ活動というものは相手の気持ちを動かせるかどうかということが大切であって、上手くやることはほんの少しも大切ではない。泥臭くてもコツコツを続けることでまわりの人たちを巻き込んでいく。少なくともそれがわたしのやり方だ。

わたしは決して華やかではないし、勢いがあるキャラクターでもない。わたしにできるのは愚直なまでにまっすぐにあることだけだ。ただまっすぐにネパールのことを想って行動する。どこまで相手にそれが伝わるかは分からないが、その気持だけは忘れてはいけない。原点であり全てでもある。

この活動でまた新しい出会いができるかもしれない。実はそこが一番楽しみだったりしている。こういう活動をしていなければ会えない人たちがいる。万里の長城マラソンの事務局もそうだ。ボランティアでやっているが、やったからこそ繋がっていった人たちがいっぱいいる。わたしはそれを報酬だと思っている。

誰かのために一生懸命になる。人生が豊かかどうかはどれだけそういう時間を持てたかではないかと最近感じている。そして、誰かのために一生懸命になった分は、きちんと同じだけ一生懸命が戻ってくる。これは自然の摂理と言っていいだろう。中国で置き忘れたカメラをそこにいた中国人のおっちゃんが届けてくれる。普通はありえない。

神様を信じてはいないが、言ってみれば「神様は見ている」のだろう。誰かのために必死になって動き回る人を神様は放っておかない。少なくともわたしが神様なら放っておくことはない。もっともわたしは神様が見ていようが見ていまいが気にはしない。ただ誰かのためにしたことが笑顔につながればそれで満足だ。

さて、今回の旅でいったいどれだけの笑顔に出会えるだろう。ネパールの人たちの笑顔につなげていけるだろう。そう思うとワクワクして眠れない。

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