昨夜、NEPAL×JAPAN「プロレスのチカラ」「ハシリのチカラ」プロジェクトでネパールに支援に向かった三州ツバ吉さんの報告会が都内で行われた。基本的に写真を使ったプレゼンテーションだったが、その写真からはネパールのいまが十分伝わってくる。ネパールも東北も同じ震災ではあるが、すべてが同じわけではない。
震災後1ヶ月以上が経過しネパールでは日常が戻っている。街のあちこちに瓦礫が残り、とても復興までの道のりを想像することができないが、それでも人々の顔は悲観的ではなく、もう未来を向いている。もちろん多くの難題が彼らを待ち受けているのだろう。それでも人は生きていかなければいけない。その意志が彼らの目から伝わってくる。
壊れている建物の多くは寺院だったり古い建物が多い。報道等で知っている人は多いと思うが、ネパールの建物は基本的に石積みだったりレンガ造りだったりする。日本の木造や鉄筋コンクリートなどと違って脆さがある。割と新しい建物でも5階建てのビルの1,2階が崩壊している。ネパールでは「地震があったら上階へ逃げろ」だ。
1,2階は跡形もなくなっているのだが、その上は無傷に近かったりする。おそらく下の階は上の階の重さに耐えられず崩れたのだろう。日本では考えられないことだが、世界には世界の常識がある。急いで下の階に逃げて外に出ようとしたらぺしゃんこに押しつぶされることになる。もちろん上の階も絶対的な安全はない。
震災はあったものの、ネパールには物資が豊富にある。コンビニのような小さな商店にはモノがあふれている。当たり前のように食べ物を売っているし、飲み物も手に入る。彼らにとっていま必要なのは「お金」だ。Tシャツやら毛布やら送りたくなる気持ちもわかるが、彼らに足りないのは「お金」それだけ。
そして、お金を持っている人は持っている。そうでない人との差がはっきりと見える形である。下手なお金の送り方をしても、ほんとうに必要な人たちに届かないおそれがあることは知っておいた方がいい。発展途上国という表現は差別的かもしれないが、そういう国では現実問題として着服ということが珍しくない。
実際問題として、ネパールの空港には物資が山積みになっているがそこから先に流れていっていない。それらが全てではないし、計画的に行わなければいけないこともあるのだろうが、こういうものはスピードが重要だろう。検査なども必要なのかもしれない。そう考えるとやはりいま届けなくてはいけないのは「お金」だ。
いまわたしたちができること、すべきことはひとつだけ。友人にネパール人がいれば、その人に少額でも構わないからお金を預けること。もし友人にいなければ、友人の友人でもいい。どちらにしてもすべての人を救うことなんてできない。大勢を救う役目は国に任せておけばいい。
できるだけ身近な人を助ける。それでいい。何もしないよりもよっぽどいい。どうにもこうにもお金を預けられる相手がいないのであれば、集まったお金の行方はわからないけどコンビニの募金箱でもいい。お釣りとして帰ってきたお金の一部でもいい。偽善だろうがなんだろうがかまわない。とにかく必要なのだ。
日本の総人口×1円で1億2000万円だ。全然小さな力ではない。
ネパールの人たちはこれから何十年もガレキとともに生きていかなければいけない。だから、この活動は継続的に行う必要がある。もちろん並列していまだ復興のふの字程度しか見えない東北の海岸沿いの街についても考えなくてはいけない。これは豊かな国に生まれた者の義務と言っていい。
我々の豊かさは直接的ではないにしても彼らの貧しさの上に成り立っている。物質的な豊かさに囲まれているなら、心も豊かであろうじゃないか。もう一度繰り返す。いま1円でも多くのお金をネパールへ送るのがわたしたちに求められている。それに応えるかどうかは個人の問題としよう。
まずはネパールがこういう状態であることを頭に入れておいてほしい。ただそれだけをお願いする。
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