「努力は絶対報われる」とアイドルグループの1人が言い続けている。その一方で努力は本当に報われるのか?自分の努力は報われていないと主張する人もいる。努力は報われるのか永遠に平行線になる議論のひとつだろう。
平行線になる議論はいつだって議論する内容そのものが間違っている。努力もそう。努力が報われなければいけないという発想がすでにおかしい。
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努力は自分の人生をかけて情熱を燃やし、どうしてもたどり着きたい場所があるから行うものだ。行き先はわからないけどとにかく努力をしていい結果を得たい。そんなあやふやな努力で何かをなし得ようなんて世の中そんなに甘くない。
そして努力は人に言われてするものではない。「もっと勉強しなさい」と親に言われてしぶしぶ勉強する人と、どうしても入りたい大学があり寝る間も惜しんで勉強する人とでは努力の質が違う。
問題なのはしぶしぶ勉強した人がその大学に入学でき、寝る間も惜しんで勉強した人が不合格になるということもあるということだろう。努力した時間が無駄だったのではないかという議論になる。
才能の差、運の差というものは必ずある。強いものが生き、弱いものは淘汰される。それが自然界のルールだから。
結果が出なかったことと、情熱を燃やして努力をしたことは同じ時間軸で考えるべきことではない。自然界のルールのなかで自分が生き残るために必死にもがくことを否定することは誰にもできない。
もがいて弱者から抜け出せなかったなら、それを受け入れるしかない。受け入れてまた次の情熱を燃やす。生きるということはそれの繰り返しだ。燃やすべき情熱がなくなったとき、それが死ぬということだ。
物理的な死のときもあるし、社会的な死のときもあるだろう。努力を諦めたとき人は死んでしまう。報われるかどうかなど関係ないのだ。わたしはそう考えて日々を過ごしている。
死にたくない。ただ生き残るために全力を尽くす。情熱はまだ途切れそうにもない。
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