「読まれる記事がいい記事」という考えは正しいが、わたしの道ではない

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いい記事と読まれる記事は必ずしも一致しないというあたりまえのことを思い知らされました。いや、いい文章であろうとも読まれない記事は「いい記事」ではなく「いい記事と思い込んでいるだけの記事」です。少なくともライターにおいては。

昨夜、ディズニーシーのランニングイベントの記事『ディズニーシーを走ろう!「ディズニー・ファン・アンド・ラン」』をRUNNING STREET 365にアップしましたが、「ディズニー」の名前だけで普通のマラソン大会の紹介記事の10倍のページビューがあります。

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そうなるだろうなということは予想していましたし、検索に引っかかるようになると一気にアクセスが増える可能性があります。ただ、ディズニー関係ということで不要なことはできるだけ書かないようにした記事なのでわたしの中では「いい記事」ではありません。

プロとして生きていくには稼がなくては話になりません。理想を掲げるのもすべてきちんと生活が出来るようになってからです。多くの人に喜んでもらってこそライターはライターでいられるのです。

普通のライターはね。

残念ながらわたしはそういう生き方はしません。まっすぐにしか生きないと決めてしまったので。たくさんの人が読んでくれる記事がいい記事だという言い分はわかります。でもそういう考えは器用に生きられる人たちに任せることにします。

わたしは自分がいいと思うものを伝えていきたい。もちろんディズニーシーの記事は「伝えたいこと」を含めました。ただ自分本来の文章を発揮したわけではありません。だいぶディズニーに配慮しました。

こういうのはよくない。

小さなことかもしれないけど、そういう配慮がつもりつもって「面白くない人」になってしまいます。わたしはいつだってリミッターを外して全力で走り続けたい。安全圏で無難に生きるなら独立なんてしませんでした。

時間はかかるかもしれませんが、小手先のテクニックではなく、全力の自分が作り出すものを喜んでもらえる道をわたしは選びます。きっとこのブログを読んでいる人も、ケガしないように安全に進む姿よりも、全力で壁に激突する姿を期待しているはず。

重松貴志は自分がいいと思う記事で勝負します!

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