ありがたいことに受け切れないほどの仕事の依頼が入っています。単価は決して安くないし、年度末の駆け込み需要なのでしょうが、ありがたいことです。
ただ受け切れないので断っているのもありますが。
「仕事を断るような身分でもあるまい」と言われそうですが、物書きという仕事は睡眠が大切。とにかく寝ないと仕事ができないので、機械設計のように「ここだけ踏ん張る」ということができません。
そしてわたしがいつも言っているのは「持てない荷物は持たない」。これは機械設計のころから絶対に守ってきたこと。いま手持ちの荷物で手一杯のときは何があっても追加では持たない。
世の中には自分が持てる量を遥かに超えた荷物を持とうとする人たちがいます。わたしの周りでも両手いっぱいに持って動けなくなった人もいましたし、荷物と一緒に崩れてしまった人もいました。
みんな「自分が持つしかなかった」と言います。
実際にその人が持つしかなかったのでしょう。その人が持たなかったらその荷物は置きっぱなしになる。正義感が強くて真面目な人たち。
わたしの半分ぐらいいい加減に生きることができたら楽なんだろうなと思う。みんながわたしをどう見ているかはわからないけど、わたしはかなりいい加減な人間だ。戦わないし、踏ん張らないし、すぐに逃げる。
お遍路をしているとき、わたしの大きな荷物を見て「荷物の重さが業の重さ」だと教えてくれた人がいました。それは実際の荷物だけでなく、心の荷物も含めてなんだということが最近わかってきました。
そういえば荷物を持たなくなったのはお遍路を終えたあたりからです。旅の荷物も心の荷物も最小限。それまでは真面目にまっすぐ前に進んでいました。
いまでもまっすぐは変わりませんが、目の前が嵐ならそれが去るのを待つようになりました。まっすぐ前に進まずに、まっすぐ後ろに逃げることもあります。
みんな本当に真面目だと正直感心します。苦しいところで踏ん張るし、自分の敵となるものには向かっていく。ただやっぱり持てない荷物は持たなくていいのになと、わたしは思います。
じゃあその荷物は誰が持つ?正直言えばわからない。
ずっと逃げ続けたわたしには「とにかく逃げろ」としか言えない。いつかわたし自身が荷物になるときがやってくる。そのときも「とにかく逃げろ」と言える自分でいられるならそれでいい。
でもわたしは生きることへの執着だけは強いからきっと「助けてくれ」と言うのだろう。あわれなキリギリス。それでもあえて言おう。
「持てない荷物はおろしていい」
そしてもうひとつ、持つと決めたら最後まで歯を食いしばって立ち続けること。もし倒れそうなら、そのときはわたしを呼べばいい。いつも手ぶらだから片手分ぐらいは持ってあげてもいい。報酬は生ビールとキュウリで引き受けよう。
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