One of themではなく1対1の積重ねを人間関係の基本とする

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自分で言うのもなんですが、笑顔が売りの河童ですが、社会人になったころは思い出すのも恥ずかしいくらいに尖っていました。誰かの意見を論破することに喜びを感じ、自分は優れているという思い込み。

年月は人を変えるといいますが、わたしも40歳にもなるとそこそこ丸くなっています。

でも人間としての本質はそれほど変わらないんだなということに、改めて気付いた東海道五十七次ウルトラマラニックでした。

わたしはイベントのお手伝いということでしたので、とにかく目立たないようにおとなしくしておこうと思っていたのに、いざ行動するとなると、おとなしくしていられない。

陰から支えるということができない性格。

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そして自分の主体性を消して行動することが本当に苦手。こういう立場のときは「言われたことを言われたとおりにすること」が現場を混乱させないために必要なのはわかっていますが、それができません。

わたしは「言われないと行動できない人」と一緒に行動することを苦痛に感じるタイプ。いや正確には苦痛に感じるのではなく、その存在を無視するタイプ。

我ながら幼いなとは思います。

もっともひどいのはそれを顔や態度に出してしまうということでしょうか。人のイベントの手伝いに行って1人イライラしている。冷静に考えなくても人として最悪。

でもこのイライラする感覚は間違っているとは思いません。

賢い大人はみんなそれぞれにイライラしながらも、それをグッと飲み込んでいるのでしょう。わたしはそれができない。最初の会社を辞めたのも、最後の会社を辞めたのも我慢ができなかったから。

そして最近わかってきたのは自分が何に対してイライラしたり、感情の制御ができなるかということ。

半年前に会社を辞めたとき、きっかけは会社の移転でした。会社の移転自体は別によかったのですが、そのときに社員一人ひとりのことを考えている、とてもそう思えない対応を感じたことが大きな理由でした。

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わたしは個人をone of themで扱うことを嫌悪する人間なのだということに、40年かかってようやく気付きました。

人間関係は常に1対1なんです。

どれだけたくさんの人といても、1対1の積み重ねがわたしの人間関係の基本です。

もちろんそれを誰かに強要するつもりなんてありませんし、それが正しいなんてこと主張もしません。あくまでもわたしの正義として、誰かと向き合うときにone of themにならないことを心がける。

そのつもりなんですが、誰かが誰かをone of themとしていることを見るのも、どうやらわたしにとっては耐えられないくらい苦痛のようです。

これはもういいとか悪いとかいうことではなく、それが重松貴志が生きるということ。

じゃあ万里の長城マラソンで50人の参加者全員とちゃんと向き合えたかと聞かれると、それはできていないことは認めます。でもそれを諦めたことは1度もありません。

そしてこれから参加者が増えていくのにちゃんと向き合えるのか、5年後に日本人参加者が200人になっていたとして、ちゃんと200人と向き合えるのか。

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それはわたしの器の大きさにかかっています。

いまはまだ50人でもいっぱいいっぱいになる程度の器しかありませんが、5年後に200人を受け止められる器になっていればいい。

できないのならわたしはそこまでの人間でしかないということ。現実を受け入れればいい。

1対1で向き合えないのなら万里の長城マラソンに何百人の日本人が集まろうと、それはわたしのやり方ではありません。

そのことに気づけたことが、週末にあった東海道五十七次ウルトラマラニックのひとつの成果かもしれません。いい出会いもたくさんありました。

思っていた方向とはまったく違う方向に転がり始めましたが、思い通りにならないから人生は面白い。

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