せっかく映画で「沈黙」を観たことだし勉強の意味も込めて、原作となる遠藤周作さんの「沈黙」を購入しようと、電子書籍の楽天koboで買い物かごボタンを押そうとしたときに、おかしなことに気づきました。
電子書籍版の価格659円(税込)、紙書籍版の価格594円(税込)。
通常どんな本も電子書籍の価格のほうが、安く設定されています。管理費などがあるのでしょうから圧倒的に安くなるということはありませんが、例えば岩波文庫から出ている夏目漱石さんの「こころ」は電子電子書籍版が540円で、紙書籍版が648円です。
楽天koboには常にクーポン券がありますので、最終的には紙書籍版よりも安く買えるので、金額は別にいいのですが、映画で注目されているときに値段を上げて少しでも利益をあげようとするスタンスに、少しイラッとしてしまいました。
とはいえ冷静に考えれば、お金儲けをするにはこれくらい貪欲でなくては成立しないのかもしれません。少なくともこのやり方で楽天は大きな利益をあげているわけですから、お金を儲けるという点に関して、わたしがとやかく言う問題でもありません。
高く売れるときに高く売ってしまえばいい。紙書籍版は定価が決まっているので高値では売れませんが、電子書籍の価格は自由に決めることができますので、売れるとなれば高値設定をすればいいのです。
嫌なら買わなければいい。簡単な話そういうことなのでしょう。
追記
価格を決めているのは楽天koboではなく、新潮文庫ではないかという指摘がありました。そして新潮文庫の書籍はほとんどが紙書籍版よりも電子書籍版が高く設定されていますので、「沈黙」が高いのは映画のせいだというのはわたしの勘違いです。
ただ、「儲かれば何でもあり」という考え方そのものが、わたしには合っていないということだけははっきりと認識できました。わたしが会社員を続けることができなかった理由もそこにあります。
会社が金儲けばかり考えるようになったところで嫌気が差し、会社を辞めてしまっています。会社なのだから金儲けをして何が悪いと思うかもしれませんが、わたしにとってのビジネスと金儲けは違います。
金儲けは儲かることが正義です。どんな形であれ収益をあげた人が偉いとされます。それに対してビジネスはサービスを提供し、お客さんに喜んでもらう。その対価としてお金をもらいます。
サービスを受けた人や物を購入してくれた人が笑顔になってくれなければ、わたしにとっては失敗したビジネスです。売りたいのは物やサービスではなく、それによってもたらされる豊かさや幸福感なのです。
わたしが何かをするときにちゃんとお金を取るべきと、アドバイスをしてくれる人が周りにたくさんいます。
本当にその通りなのですが、わたしは豊かさや幸福感を与えられているという自信がないから、自分の企画するイベントやランニングのレッスン、そして情報発信でお金儲けをしようという気にはなれません。
いまは一緒に楽しいことをしたいだけだし、目の前に困っている人がいるなら助けたいだけ。一流のビジネスマンならそれをビジネスに変えてしまうのでしょうが、わたしにはその才覚もなく、現段階ではほんの少しもそうしたいという気になれません。
もちろんそれが正しいなんてことは言いませんし、お金儲けの世界ではただの戯言に過ぎません。
お金がなければ生活も出来ませんし、こうやってブログを書き続けることもできません。夢を追っているからと言って霞を食べて生きていけるわけではないことも理解しています。
そしてどの時代もお金を持っている人中心に世の中が動いているということも知っています。
楽天のスタンスにイラッとしても、楽天の三木谷さんはやっぱりすごい人だし、どこかの国の大統領に反対意見を呟いて、それがニュースにもなるような人です。わたしとは違う世界に住んでいる人間です。
違うのは住んでいる世界ではなく、きっと人生とは何なのかという根本的な部分も違っているのでしょう。
そして彼は日本の経済を動かし、わたしは神奈川の片田舎で細々とやっているわけです。金儲けの場という範囲においては、誰の目から見ても成功者は三木谷さんです。
じゃあ三木谷さんのようになりたいかと聞かれると、即答でNOと答えるでしょう。わたしはいまの自分のスタイルが好きですし、わたしはこのスタイルだからなんとか会社を辞めても生きてこれたのだと考えています。
ビジネスマンとして3流だったとしても、世界を変えることができなくても、目の前にいる誰かを喜ばそうとすれば、それを面白がってくれる人がいる。そこがわたしの立ち位置です。
一流のビジネスマンのように、お金儲けだと割り切った生き方はわたしにはできません。
そんなところに自分の人生の限られた時間を使いたくありません。きれいごとでしかありませんが、きれいごともたくさん重ねれば、いつか本当にきれいなものになると信じています。
世の中に1人くらいこんなばかばかしい生き方をしている奴がいてもいいんじゃないかと、勝手に思っています。
隣の村でお米がなくて困っているならお米を届けて、お礼にと魚をもらって帰ってくる。それくらいがわたしにちょうどいいサイズです。たまに海老で鯛が釣れた日には、仲間で鯛を分け合って食べる。
こんなことだから貯蓄もなく、結婚もできないのでしょうが、まあそれも人生です。今日食べることのできるご飯があればそれで十分。
お金はありませんが、いまのわたしに足りないものは何もありません。あえて足りないものをあげるなら、紙書籍よりも電子書籍が高かったことにイラッとしないだけの人としての器くらいでしょうか。
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