台湾で60kmを走った14時間後、わたしは羽田空港の到着ロビーに立っていました。台東から台北へ移動し、美味しいものを食べる暇もなく桃園空港へ。そして深夜便で帰国しました。
すべては彩湖リレーマラソンに出場するためです。
彩湖リレーマラソンは今年が初めての開催で、ほんの少しだけ相談に乗ったりしていたこともあり、絶対に成功してもらいたい大会でした。そのため、ラン仲間を誘って2チームでエントリーし、一緒に仕事をしているランレコードさんにはブースを出してもらっています。
そこまでしておいて、自分だけ台湾で酒に浸っているわけにはいきません。
とはいえ、60kmを全力で走った代償として、わたしは手すりなしで階段を下りることが出来ないほどの筋肉痛。とてもじゃありませんが、5kmをまともに走れるとは思えません。
それでも、会場に向かわないことには話になりません。ブースの設営もあり、羽田空港から始発に乗って赤羽に向かいます。前日に3時30分に起床してから、睡眠時間は飛行機の中の3時間のみ。
筋肉痛よりもそちらのほうが体への負担が大きかったかもしれません。でも、「60km走ったのなんて言い訳にならない」というラン仲間のありがたいお言葉をいただいて、まずは気持ちを高めることに(チームメイトに鬼がいる…)。
彩湖リレーマラソンは埼玉の栄高校OBが、自分たちの理想とする大会を作りたいという思いで開催することになった大会です。大きなバックボーンがあるわけでないのに、「開催したい」という情熱が多くの人を巻き込んで、この日を迎えました。
初開催ですので、いろいろな部分で手間取っている状態でしたが、スタッフもボランティアさんもいい表情でそれぞれの役割を果たしています。そういう姿を見ると自然とモチベーションが上がります。
(モチベーションが上がっても筋肉痛が消えるわけではありませんが)
筋肉痛を少しでも軽くするために裸足で走ろうかと思いましたが、足裏がやや過敏になっているのもあって、5m歩いた時点で断念。大会にははだし駅伝部のメンバーがいましたので、シューズを履くのは精神的にやや抵抗がありましたが。
持っているシューズはメディフォーム。南横ウルトラマラソンで「スピードを出せない」と感じたシューズですが、これしか持っていません。安定感は抜群ですが、スピードに耐えられるのか。
いや、そもそも自分がどれくらいのスピードを出せるのか分かりません。
疲労具合と筋肉痛を考えれば、5kmで25分くらいがいいところでしょうか。ひとつ可能性があるとすれば、60kmを走ったことでフィットネスが上がっているということ。疲労感を無視できればそこそこのスピードが出せる可能性はあります。
わたしは第4走者、1時間は順番が回ってきません。撮影をしながらゆっくりとアップをし始めましたが、ラン仲間が次々と好タイムで戻ってきます。箱根駅伝さながらにゴールして倒れてしまうくらいの全力。
こうなると、とりあえず走ればいいという状態ではありません。足が言うことを聞かないとしても、みんなと同じように自分を限界まで追い込まないと、納得してもらえそうにありませんし、自分自身も納得できません。
第3走者がスタートして、わたしは徐々に強度の高いアップに切り替えていきます。
足にまったく力が入りませんが、強引に動かしていくうちに、筋肉痛は若干収まった感じがします。ただ、太もも周りの感触がまったくなく、スカスカして空回りしています。
とにかく足が動くならやるしかありません。
タスキを受け取って一気に加速。会場内のコースでぐんぐんスピードを上げていきます。そしてすぐに気づきました。「これでは最後まで持たない」と。
時計は持っていたものの、あえてペースを確認せずに最初の1kmを走ります。足の状態を確認して、心拍数が上がりすぎていないか、しっかりと血液が太ももに流れているかをチェックします。
本来の自分のスピードからはかなり遅い感覚でしたが、これ以上は心肺機能への負荷が高すぎると判断し、少しスピードを落としました。そして、そのペースを維持するとに集中します。
スタートして1kmも行かないうちに、はだし駅伝部(最終走者)に抜かれます。
一瞬ついて行きたい気持ちが湧いてきましたが、そこはきちんと自分をコントロールします。駅伝やリレーマラソンは自分の実力以上のものを出しやすい競技ですが、それと無理をするのは違います。
とにかく心拍数を上げないようにすること。そして足を消耗しないギリギリのところのスピードを見極めて、一歩一歩足を進めていきます。1kmを過ぎての上り坂。さすがにここでは息が乱れ心拍数が上がります。
ただ、そこで落ちそうになるペースを必死になって維持します。気持ちを切らしたら一気にスピードが落ちますので、「最後までこのペースを守ること」を意識。
少し前を走っている、ちょっと速そうなランナーを見つけては、「あの人に追いつこう」と目標設定。1人1人追い抜いていくことで、自分は速く走れていると暗示をかけます。
実際には1kmを4分以上かかっています。
残り1kmになったところで、少しだけギアを上げます。口から内蔵が出てくるのではないかというくらい、お腹が痛くなりますが、足はまだ生きています。
「苦しむのはゴールしてから出来る」と、スピードを落としたくなる自分に発破をかける。
待っている人がいる。タスキを繋いでくれた人がいる。そう思うと、自分の中にいる弱気の虫がこの時ばかりは身を潜めてくれます。
残り数百メートルは、景色もほとんど見えないほど視界が狭くなりましたが、最後まで諦めることなく自分の役割を終えます。
20分22秒
リレーマラソンで個人の成績など何の意味もありませんが、歩くこともままならない状態から考えれば、まずまずの頑張りだったような気がします。少なくとも前日に60kmを走ったことは言い訳にしなくてもいいくらいには。
2日連続での限界突破。この2日間でわたしの中の何かが変わったように感じます。
速く走ることにはやはり興味を持てませんが、自分の限界を押し上げることへの意欲が増しています。台湾では台湾人ランナーに背中を押され、彩湖リレーマラソンでは仲間たちの存在が力になりました。
自分のためには頑張れないし頑張ろうとは思いません。でも期待をしている人がいて、それに恥じない自分ではいたいとは思います。そのためにはやはり日々の練習で自分を高めなくてはいけません。
「もっと強いランナーになりたい」
そういう思いを日々抱いて練習をしていますが、この2日間でほんの少しだけその領域に近づけたのではないかと思います。まだまだ理想からは遠い場所にいますが。
リレーマラソンというのは、メンバーを集めるのが大変ですので、なかなかエントリーしようと思わないのですが、今回は縁があって彩湖リレーマラソンを走ることができました。
自分だけで走るのもいいのですが、こうやって仲間とタスキを繋ぐのもいいものです。他のメンバーがOKしてくれるなら来年以降も継続して出たいくらい、わたしとしては充実した1日になりました。
走り終えた後の打ち上げでテンションが上りすぎたのは言うまでもありません。そして、いい気分に酔っ払い、帰りの電車で1駅寝過ごして隣駅から「ほぐし」と言い聞かせて歩いて帰ったのはここだけの秘密です。
さすがに2日間追い込んだので、ランニング再開までに数日かかるような気がします。まずは体を休めながら、これから秋のハルカススカイラン向けの体づくりに切り替えていきます。
ハルカススカイランは凡人ランナー史上最大の挑戦。2日連続の限界突破は、そのスタートラインとして最高の舞台となりました。
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