ナイキのヴェイパーシリーズについて、国際陸上連盟(IAAF)が調査に乗り出すというニュースがあり、シリアスランナーはその動向がかなり気になっているかと思います。
アンチナイキのランナーの中には「それ見たことか」と、ここぞとばかりにバッシングをしているかもしれません。
ただメディアも含めて、それぞれが都合のいい部分だけを切り取って解釈しているため、一般のランナーにしてみれば、何を信じていいのかわからない状態にあります。
わたしもナイキやIAAFの中の人ではないので、正しいことは言えませんが情報をまとめて考察することはできます。そこで、いったい何が起きているのかについて解説していこうと思います。
ナイキの厚底マラソンシューズへの疑惑
ランナーの方ならすでに知っているかもしれませんが、ここ最近に記録されたマラソンの世界記録はすべて、ナイキのヴェイパーフライシリーズのシューズを履いたランナーが生み出しています。
2回更新された日本記録も、設楽選手、大迫選手の2人ともヴェイパーフライシリーズを履いており、実際に結果が出ていることから、勝ちたいランナーの選択肢としてはヴェイパーフライシリーズを選ぶしかない状態にあります。
ところがトップアスリートの多くは、スポーツメーカーと契約をしているため、例えばアディダスと契約している選手は、原則としてヴェイパーフライシリーズを履くことができません。
でも、明らかにヴェイパーフライシリーズだけ速く走れるので、契約の関係でそれらのシューズを履けない選手がIAAF(国際陸上連盟)に対して、「あのシューズは不公平だ」と訴えたことがことの発端にあります。
IAAFの規則において、シューズに関しては次のような決まりがあります。
Athletes may compete barefoot or with footwear on one or both feet. The purpose of shoes for competition is to give protection and stability to the feet and a firm grip on the ground. Such shoes, however, must not be constructed so as to give athletes any unfair assistance or advantage. Any type of shoe used must be reasonably available to all in the spirit of the universality of athletics.
– IAAF Competition Rules 2018-2019
日本陸上競技連盟競技規則にも同じ内容が書かれています。
簡単にいえば「シューズは履いてもいい、でもシューズが競技者に不公平な助力をしてはいけない。シューズは陸上競技の普遍的精神に合致し合理的かつ無理なく入手できるものでなくてはいけない」となっています。
「陸上競技の普遍的精神」というのが抽象的すぎますが、要するに「ズルをするな」ということなのでしょう。
そして注意書きにこうあります。
Where evidence is provided to the IAAF that a type of shoe being used in competition does not comply with the Rules or the spirit of them, it may refer the shoe for study and if there is non-compliance may prohibit such shoes from being used in competition.
– IAAF Competition Rules 2018-2019
これは「シューズが競技規則や陸上競技の精神に反している証拠が IAAFに提出されたら、そのシューズが検査対象となり、違反が認められれば競技会での使用が禁止される」という内容です。
今回は証拠があったのかどうかは分かりませんが、選手の心理からすれば「結果として出ているから調査してほしい」ということなのでしょう。そしてIAAFは調査に乗り出したというのが現時点です。
まだ何も決まっていません。調査して欲しいと頼まれたから、調査をするというだけのこと。OKになる可能性もあれば、NGになる可能性もあります。どうなるかは誰にもわかりません。
ヴェイパーフライの何が問題なのか
そもそも、ヴェイパーフライは何が問題なのでしょう。分かりやすい問題の種は2つの素材にあります。
・カーボンプレート
・反発性のあるソール材のズームXフォーム
ヴェイパーフライが他のシューズと大きく違うのがこの2点です。ただし、これらの素材が本当に問題なら既存のランニングシューズのほとんどがNGということになります。どういうことなのか、素材ごとに説明します。
推進力を生み出すカーボンプレート
ヴェイパーフライの特徴でもあるカーボンプレートですが、これが推進力を生み出しているという話があります。前足部で着地したときに、テコの原理で踵を押し上げることになるので、踵が地面から離れるときに加速を与えることになります。
ただ、カーボンプレートを入れるという技術は今に始まったものではなく、トラック競技用シューズにはすでに導入されているもので、マラソンシューズで採用したのもナイキが初めてではありません。
確かにちょっとズルいような気はしますが、とはいえ他のメーカーのシューズにはスタビライザーという部品が使われています。メーカーごとに名前が違いますが、シューズの裏に付いているプラスチックの素材です。
実はこのスタビライザーも推進力を生み出します。メーカーは「シューズのねじれを防ぐ」と言い続けていますが、実際にはこの部品があることでスピードが出やすくなっていますので、カーボンプレートと変わりません。
もしカーボンプレートがNGなら、このスタビライザーもNGという話になります。ただ、スタビライザーはこれまで1度も問題視されておらず、カーボンプレートに関しては他社も真似をすればいいだけなので、禁止にする理由はありません。
カーボンプレートがNGなら樹脂部品もNGにするしかありません。ではゴム底を使っていい根拠はどこにあるのでしょう?EVAはどうでしょう?
カーボンプレートがNGなら、その根拠をIAAFが示さなくてはいけませんが、判断を間違えるとほとんどのランニングシューズがNGになるので、実際には動くに動けないと考えられます。
衝撃吸収と反発力のズームXフォーム
ナイキのヴェイパーフライはカーボンプレートばかり注目されていますが、その速さの秘密はソール材のズームXフォームでにあると言われています。このシューズの価格が高いのも、ズームXフォームが影響しています。
実際にカーボンプレートの入ったズームフライよりも、カーボンプレートなしでズームXフォームを使ったペガサスターボのほうが、定価が高くなっています。
ズームXフォームは衝撃吸収力が高く、それでいて高い反発性があります。これにより推進力を生み出しているとされています。ただ、こちらもNGとするには無理があります。
もし衝撃吸収性と反発力を兼ね備えたフォーム材がNGなら、アディダスのBOOSTフォームを搭載したシューズが発売された時点でNGになっているはずです。ズームXフォームは素晴らしい素材ですが、BOOSTフォームを圧倒するほどではありません。
さらに、このフォーム材の開発はどのメーカーも行っているもので、もしズームXフォームがNGなら、明確な基準を作らなくてはいけなくなります。開発するときに、どこを超えたらNGなのかわからなければ開発のしようがありません。
ただ、決まった測定方法があるわけではないので、おそらくズームXフォームがNGとなることも考えられません。
そもそもシューズというのはロスを生み出すもの
多くの人が勘違いしているポイントが、「ナイキ厚底マラソンシューズを履くと自分の能力以上のスピードで走れる」という点にあります。
これは裸足ランナーとしての視点、多くのランニングシューズを履いてきて感じていることですが、ランニングシューズはどんなシューズであっても、自分の実力以上のものを出すことはできません。
モーターでも付いていれば話は別ですが、どんなシューズであっても裸足で走るときと比べるとロスになります。クッションがあれば、それだけ力が逃げていきます。
ズームXフォームのエネルギーリターンは85%ですので、地面に伝えた力の15%が変形などによって逃げています。
シューズメーカーはこのロスをなくすために日々研究開発を行っています。ただ、この効率が100%を超えることは物理的にありえませんので、どんなシューズでも裸足に劣るということになります。
ただ、裸足で42kmを走るには別の問題があります。また、裸足は裸足で地面との摩擦が小さすぎる(グリップしない)という問題もあるので、必ずしも裸足のほうが速いというわけではありませんが。
ヴェイパーシリーズには特別な仕組みがあるわけではなく、「不公平な助力」を与えているわけでもありません。目指しているのはロスが限りなくゼロに近いシューズなのですから、ヴェイパーシリーズが責められる理由はどこにもありません。
この点に関してはナイキが悪いというよりは、そのレベルに追いつけていない他社に問題があります。
ヴェイパーフライは誰でも買えるもの
多くの他社と契約しているアスリートが「不公平だ」と言っているのが、ことの発端ですが、ただこの主張には正当性がありません。なぜならナイキのヴェイパーフライはお店で誰でも買えるからです。
「アディダスの契約選手には売りません」とすれば問題ですが、ナイキはそんなことを言っていませんし、品不足はあれど欲しい人はみんな買えます(懐事情は無視してですが)。
他社と契約しててヴェイパーフライを履けないのは、その選手個人の問題であってIAAFがどうこうするような話ではありません。むしろ、日本の選手のように特注品をオーダーメイドしているほうが問題になりかねません。
「そのシューズがすごいと思うなら、それを履けばいいじゃないか」と言えば終わる話なのですが、今回はIAAFが調査に乗り出しました。そうなってくると、今回の話は表向きと裏の話があるように感じます。
最後に、裏で何が起きているのかについての推測をしておきます。
ナイキ1強は困るという判断
ここからは完全に推測になります。事実は別にあるかもしれませんので、注意して読んでください。
今回IAAFに泣きついたのは選手ではなく、各シューズメーカーではないかということがまず考えられます。選手は契約を解除してナイキを履けばいいだけですので、わざわざIAAFに訴えるというのは筋が通りません。
そうなると契約選手に対して、各メーカーがIAAFに訴えるように依頼したと考えるのが自然です。どのメーカーが行ったのか、メーカー同士が協力して行ったのかは分かりません。
ただ、もうお手上げ状態で、これ以上シェアが減ると事業としても成り立たないので、ナイキ1強体制を崩そうと動き出したのでしょう。
ナイキ1強で困るのはIAAFも同じことです。各メーカーが撤退したら、世界中のマラソン大会のスポンサーが不足します。メーカーは宣伝になるからスポンサーになっているわけで、宣伝してもナイキのシューズしか売れないなら、スポンサーとしてお金を出すことができなくなります。
IAAFにしてみれば、どのメーカーにも協力してもらうことが大切で、どこかでナイキだけが強い状態に歯止めをかける必要があります。IAAFとシューズメーカーの思惑が一致しての今回の件と考えることもできます。
そうなると、思った以上に理不尽な結果になる可能性も考えられます。
出る杭は打たれるというのは日本だけでなく、世界中どこにでもある話で、今回はまさに出過ぎたナイキが打たれるという構図になったと考えられます。ただ、ナイキもそれは想定内のはずです。
このため、ナイキも想像できない何かを仕掛けてくる可能性は大きく、ヴェイパーフライが違反となったら、思い切った揺さぶりをしかけてくるはずです。例えばIAAFとの決別ということも考えられます。
INEOS 1:59やBREAKING2といったIAAF非公認レースを開催したのも、その布石だったとすると、大迫選手の下記の発言もつながってきます。
ただ、これ以上は推測というよりも妄想の域に入ってしまうので、今回の話はここまでです。ヴェイパーシリーズがNGかどうかという話のように思えますが、実際にはもっと大きな流れがあると考えられるというのがわたしの推測。
ランナー同士でお酒を呑むときの肴にでもしてもらえればと思います。
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