グアムインターナショナルマラソンにエントリーした。その登録時にマラソンの出場回数を選択する欄があって、自分が何回フルマラソンを走ってみたか調べてみたらなんと昨年の青島太平洋マラソンで20回達成していた。最初に走ったのが2008年の11月なので6年ちょっと前だ。
当時は怖いもの知らずで、初フルマラソンでサブスリー達成と息巻いていたが、結果は3時間11分と惨敗。それでも走れる自信にはなり、練習さえしっかりすればそう遠くないと思っていたのだが、そこでケガをしてしまった。完全にオーバーワークでフルマラソンで力を出し切れることはなくなってしまった。
そこでわたしが取り組んだのが裸足ランニングだ。そもそもはアスファルトを走れなくなったのに山に行くと走れるので、これはなんだろうかと思ったところで『BORN TO RUN』に出会ったのがきっかけだ。アスファルトを一歩も走れない状態で望んだ平塚の24時間マラソン。会場に向かう途中で手に入れた地下足袋で117.3kmを走り切る。
そこからはもう裸足の虜だ。初めてレースで裸足を試したのは静岡の長泉町ふじみロードレース大会だ。わたしの河童が始まったのもこの頃で、裸足の河童が猛スピードでゴール会場に飛び込んだ瞬間に、会場がワッと盛り上がるのを感じた。そのときの気持ちよさはいまだに覚えている。
初めての裸足フルマラソンは2011年3月の鳥取マラソンだ。直前までシューズを履いていたのだが、準備段階になって裸足で走れるような気持ちになり、気がつけばシューズを脱いでスタートラインに立っていた。ひどいレースだった。特に残りの10kmはただただ痛いだけ。でも、周りの人が声をかけてくれる。4時間30分でなんとかゴールした。
裸足で走っていたとはいえ、そこらへんまではまだ普通のランナーだった。わたしのランナー人生を大きく変えたのがご存知『万里の長城マラソン』である。この大会で顔見知り程度だった三州ツバ吉さんと繋がる。そして何よりも大会事務局の朱さんとの出会いがあったのだ。
実はわたしは万里の長城マラソンではなくバンクーバーマラソンに出るつもりだったのだが、のんびりしているうちにバンクーバー行きの飛行機が高額なものしか残っておらず、ならば近場で大好きな中国ということでエントリーしたのが万里の長城マラソンなのだ。人生とは不思議なものである。
わたしのマラソン回数が増えだしたのは三州さんと繋がってからだ。三州さんは練習代わりにマラソン大会に出場する。そういうのを見ていると、フルマラソンを走ることが特別とは思えなくなってくる。そして、出たい大会には片っぱしからエントリーし始めるのだ。今年も万里の長城マラソンを含めてあと5レースフルマラソンがある。
20回のフルマラソン。春にはこれが25回になっている。ただそれは数字でしかなく、しかもまだ通過点にすぎない。別に回数を誇るつもりはないが、走った数だけ得たものがあり、そのことは誇りに思っている。それはときとして自信であったり、友情であったりする。走ったからこそもらえたご褒美だ。
まずは来週の愛媛マラソン。これはなんとしてでもスタートラインに立つ。そこまでに体を回復させる。そして完走するのだ。どんなにひどいタイムになってもあきらめない。これまでの20回のマラソンの経験をフルに活かして伊予路を駆け抜けるとしよう。
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