もし、全力で走れるのが今日でおしまいだったとしても、それはそれでいいかなと思える駅伝になった。一緒に走ったのは大学サッカー部の同期で、そのうちの1人がわたしをマラソンの世界に引き込み、もう一人とはともに走り、もう一人はアホみたいに走るわたしを見守り続けてくれた。
先週の愛媛マラソンで、わたしが最も大切にしている伊予路を駆け抜けることができ、そして今日、わたしの原点とも言える仲間と襷をつなぐことができた。マラソン人生の集大成としては出来過ぎな気がする。ここまで体の調子が悪いと、本当にもう走れないのではないかと不安になる。でも走れなくなってもいいと言い切れる大切な時間だった。
午前中は偶然同じ大会の午前の部に出ていたRUNツバッ!メンバーの応援。彼女は足にケガを抱えているのに、結構いいペースで走ってた。いま思えばそれを見てしまったのが…いや、それを見たから踏み越えてはいけない一線を超えてしまったような気がする。そういう意味では偶然ではなく、必然なのか。
わたしの出番は午後1時から。第一走者でとりあえず、5分/kmで走るよと言ったら「それはダメ」と言われてしまった。みんなの勘違いだったのだが2時間以内でゴールしなくてはいけないと思い込んでいた。4人の合計距離は22kmで、それぞれが自分の走りに不安があったのだろう。とにかくお前が時間を稼げとの指令。
時間を稼ぎたいのはやまやまだが、途中で息絶えるわけにはいかない。とりあえずは4分/kmのスタートラインに立って号砲を待つ。そしてスタート。完全に周りに流されてしまった。トップランナーは大学生で3分/kmのペースで、周りもそれに引っ張られている。最初の1kmが3:48あきらかに飛ばし過ぎだ。
とはいえ、体に異常は感じないのでとりあえず流れに乗ることにした。ただし、体は絶対に捻らない。内臓に刺激が行くとそれだけで一発退場だ。簡単にいえば腕を振らない走り。足の力だけで走る。もっともやってはいけない走り方なのだが、足に疲労がたまるぶんにはかまわない。
その後は4分弱/kmのペースに落ち着くが、腕を振らずに走るのはかなり難しい。ちゃんとしたフォームで走りたくなる。筋力に頼っていると必ずどこかでしっぺ返しがくる。そして、それは6kmを超えたところでやってきた。まずやってきたのは吐き気。ここで履くと大事になるので、少しペースを落とす。
それでも足は限界を超え、パンパンになっているのがわかる。もう1段足のギアを落とす。悔しさがあったが、第一走者で襷を途切れさすわけにはいかない。そして一度落ちたペースを上げるだけの力はなかったうえに、残り500mで最悪な事態発生する。背中の張りが強くなり、まずいなと思っているうちに頭痛が始まった。
これ以上はスピードを落としたくはない。RUNツバッ!の仲間も走りきったではないか、仲間が待っているじゃないかと自分に言い聞かせる。きっと大丈夫、ここは無理するところだと腹をくくり、襷というものの重さを感じながら、わずかに残った気力を振り絞った。
わたしが託した襷はそのあと、わたしの想定以上のスピードで繋がっていった。みんながそれぞれの持っている以上の力を出してくれる。もはや順位やタイムなんてもはや関係ない。この仲間と襷を繋げただけで十分だった。この仲間がいるならわたしは大丈夫。まだまだ頑張れる。
走れなかった不安はどこへやら…と言いたいところだが、ちょっと頑張りすぎてあちこち痛い。ただ、この痛みはなぜか心地いい。
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