飛騨高山ウルトラマラソンのあの辛い思いはどこへやら。2週間経過する次の日曜日にはもう一度100kmを走ろうとするお馬鹿なランナーがここにいる。100km走った疲労がないと言うと嘘になるが、正直今の段階では100kmを怖いとすら思わない。あきらめずコツコツ走れば必ずゴールにたどり着ける。
そんなふうに調子に乗っていると痛い目にあうのがマラソンというものだが、痛い目にあうのも含めてマラソンならばそれはそれで味わってしまえばいい。走れなかったらまだまだ自分の力が足りないのだと感じて練習に励めばいい。ランナーは悔しい思いをしなければ成長しないものだ。
隠岐の島へは夜行バスとフェリーで向かう。不安要素は米子までの夜行バス。そんなにも長い距離蓮に乗り続けたことはない…こともないか。お遍路をしていたとき土佐清水までバスで行ったのが最長か。松山にも一度バスで行っている。冷静に考えれば不安要素でもなんでもなかった。
隠岐の島はずっと行きたかった場所なので、本当ならば1週間ぐらい滞在したいのだが、貧乏ヒマなしである。走り終えたその足で中国へと向かう。万里の長城マラソンの最終リザルトを決定するため。そして来年の万里の長城マラソンに向けての打ち合わせ。その他もろもろ決めることが山ほどある。
話を隠岐の島ウルトラマラソンに戻そう。けっこうアップダウンがあるらしい。高低差で言えば飛騨高山ウルトラマラソンにはかなわないが、小さな起伏が多く、平坦な場所がそれほどない。ただし、エイドが充実している上に、距離表示も1kmごとにある。この大会もリピーターが多いと聞く。
もっともウルトラマラソン自体がそれほど多くあるわけではないので、あまり遠征をしない人にしてみれば出場するレースは限られてくるのだろう。よほどひどい大会でなければリピーターになるシステム。
もちろん、そこには運営側の努力もあるし地元の人たちの想いもある。ウルトラマラソンはそういうものを感じるためにあるのかもしれない。フルマラソンでは速く走ろうとするあまり景色なんてほとんど見えなくなってしまう。ウルトラマラソンでもトップランナーはそうかもしれないが、庶民は景色や地元の人たちの声援を楽しめる。
今回わたしは裸足で走るつもりなのだが、さすがにウルトラマラソンを裸足で走り切るだけの練習はしていないのでビブラムを手に持って走るつもりだ。もちろん河童にハッピは変わらない。そろそろ新モデルのハッピを作りたいが時間がない。
島民の声援も期待しているが、それ以上に期待しているのはランナー同士のつながりだったりする。わたしはゆっくりと主戦場をウルトラマラソンの世界へと移しつつある。ウルトラマラソンの世界で戦う人たちとつながっていきたい。そういう思いもあったりするので、できるだけ多くの人に話しかけよう。
いずれにしてもワクワクが止まらない。ウルトラマラソンを走るのはそれほど好きではないつもりだったが、なぜだかわからないけどワクワクする。念願の隠岐の島だから?脳がウルトラランナー化してきた?それともあの苦しさが喜びになってきた?いずれにしても、全力で隠岐の島ウルトラマラソンを楽しんでこよう。
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