午前11時前、有楽町線新木場駅の改札を抜けると、普段のマラソン大会にはない、浮かれた感じのランナーたちのグループがいくつも目に入ってくる。
その脇を進む、研ぎ澄まされた表情の孤高のオオカミたち。
夢の島の24時間リレーマラソンでは個人とチームではまったく違う競技になる。
4時間の部、6時間の部、12時間の部、24時間の部と4つの部門にそれぞれ個人とチームがあるのだが、24時間の部になると個人とチームは毛色がまったく変わってくる。
どちらがいいとか悪いとか言うわけではない。同じ場所を同じ時間走るというルールだけが同じで、その方向性がまったく違うというだけのこと。24時間の個人の部はひたすらに自分との戦いになる。
今日の気温は30℃にもなるそうだが、2日分の食料とドリンクの入った重い荷物を背負って会場への道を歩きながら気づく。すでに路面温度が尋常でない状態になっていることを。
夢の島の24時間リレーマラソンだけは裸足で24時間過ごす。これがわたしの数少ない美学だ。
わたしは裸足ランナーだが、裸足にそれほどのこだわりはない。真夏や真冬はシューズを履くし、シューズでのランニングが大好きだが、夢の島の24時間リレーマラソンだけはシューズという選択肢は考えられない。
いまのわたしがあるのは夢の島の24時間リレーマラソンに裸足で参加したことが原点にあると断言してもいい。
夢の島の24時間リレーマラソンを裸足で走ることで、わたしのアイデンティティが守られる。わたしはわたしの美学のために、自分自身のために、夢の島の24時間リレーマラソンをシューズで走ることは絶対にできない。
ところが、すでに路面温度は明らかに裸足での対応が難しい状態になっている。昨年は9月開催で同じようにスタート時の路面温度が高かったため、1周走ってテントに退避することになった。
スタートまでの準備を進めながらも気温と路面温度が一気に上昇しているのがわかる。
とはいえ、スタートをしないわけにはいかない。ウレタン舗装の競技場の路面に立てないため、ガイドになっているコーンの裾に立ってスタートの号砲を待つ。
そして13時に24時間リレーマラソンのスタート。ここから24時間の厳しい戦いが始まる。
最高峰からスタート地点までの50mを走っている時点で異常を感じていたのだが、不安はアスファルト舗装の道に出た地点で現実となる。確実に路面温度は50℃を上回っている。
「今なら路面で目玉焼きが焼ける」なんてこと考えたが、実際問題としてはそれどころではない。
あまりの路面の熱さに耐えかねて、日陰にで止まってしまったが、すでに手詰まりになる、前にも後ろにも進めない。選択肢はもう足を焼いてでも前に進むしかない。
足裏が焼けていくのを感じながらとりあえず、自販機のあるエリアまで到達しそこで水を購入。足に水をかけながら走る他に休憩用のテントまで戻れそうにないと判断したのだ。
そして命からがらテントに戻ってきたものの、足裏が完全にやけど状態。皮がめくれていないだけマシだというレベル。冷静な判断として少し日が陰るのを待つことにした。
ここから1時間の休憩。その間に他のランナーは順調に周回を重ねていく。
ただし、ほとんどのランナーにとってこの時間のランニングがトラップになるのではないかとわたしは考えた。とても走って良い気温ではない。直前の情報では気温は35℃超え。
誰ひとりとしてこの時間のランニングを回避しないことにわたしは疑問を感じながらも、「休むも24時間マラソン」と言い聞かせて、ただひたすらに時間をつぶす。
そしえ14時過ぎにテントを出るが、スタート時よりもマシな程度で、まだまだ路面は熱い。だたし日陰部が増えている分だけ、走れなくもない。
ただし、この状態で走るには足裏への負担が大きすぎる。そのときは走れることよりも24時間後に自分の足でゴールラインを駆け抜けることが24時間マラソンでは重要になる。
そして今回の課題のひとつが「痛みとどう向き合っていくか」ということだ。いかにして足裏の痛みを減らすか。足裏への負担を少なくして24時間を過ごせるか。
ところが、この解決策は3時間も経過しない時点で見つかることになる。詳細は明日書くことにするが、わたしはある手法を使って足裏の痛みを大幅に減らすことに成功している。
夢の島陸上競技場の外周の路面は荒いため、接地するときの痛みは避けられない。ただ、その痛みを継続させないための手法を見つけたわたしは、そこから調子よく走り始める。
ところがいいことばかりは続かない。
足裏の痛みを感じずに走れるようになったことで、大きすぎるトラブルを抱えていることに気づいてしまったのだ。それは先週の飛騨高山ウルトラマラソンの疲労が足に残っているということ。
その疲労を回復させながら走ろうとすると、1時間に4kmとか5km程度しか進めないのだ。足裏の痛みは消すことができるが、この疲労による痛みは針をさすように筋肉を刺激し、痛みがあっという間に広がっていく。
おそらく酸素の供給不足だったのだが、足裏を傷めないことばかりに集中した結果、筋肉の負担が増えて走れなくなる。
それでもコツコツ距離を稼ぎ12時間経過直前で、積み重ねた距離は40km。最初の1時間休んだことを思えば悪くない数字。しかもこっちはまだまだ余力がある。
周りのランナーは脱水症に近い状態で疲労が溜まって寝てしまってたが、熱中症対策の虎と呼ばれるわたしに死角はない。飛騨高山ウルトラマラソンでの経験を活かして、脱水状態にはなっていない。
残り12時間も同じペースで行けば80kmは行けるかなと思って走っていた瞬間にそれは起こった。
体がいきなりガクンと下がり、まるで車がエンジンブレーキを掛けたように一気に減速してしまったのだ。思い当たるフシはまったくないのだが、とにかく体を1ヶ所ずつ異常がないか確認するしかない。
そして気づいたのは「背骨がない」ということ。いや正確には背骨はちゃんとある、体の軸がなくなってしまったのだ。それも突然に。状態がブレまくるし、軸基準で走っているわたしは、どう走っていいのかわからなくなってしまったのだ。
走り方がわからない。
そんなことあるのかと思うかもしれないが、実際にわたしの体にはそれが発生している。肩甲骨周りがふにゃふにゃしてしまい、足裏の痛み対策もできなくなってしまった。
自分の持っているすべての知識の引き出しを引っ張りだしたのだが、どれを試しても解消しない。絶体絶命のピンチ。
いままではこういうピンチもなんとか乗り切ってきたが、残り12時間の段階で万事休す。少し休めば回復するかと思って1時間ぐらい眠ったのだがいっこうに回復しない。
ただし、頭は完全にクリアな状態。この時点ではまだ足にも余裕がある。ただ走れないのだ。
唯一の救いは頭がクリアだということ。残り12時間を一度も長いと感じることなく、ただただ淡々と歩きながら時間が経過していくのを待つだけ。
ここまでくると、こまめな給水というのは確信と言っていい。夢の島の24時間リレーマラソンは1周1253mのコースだが、コース上には1ヶ所給水所がある。
そこで給水するという方法では給水が間に合わないと判断して、わたしはポカリスエットを常に携帯して、1周の間に2〜3回一口ずつ飲むことにしていた。
多くの人が勘違いしているが、こまめな給水というのは1kmの1回すればいいというものではない。抜けた水分のぶんだけ保管しなくてはいけない。
しかも今回のエイドにあったのはカロリーゼロのヴァームウォーター。
ヴァームウォーターはハイポトニックで低浸透圧なので吸収は早いが、大量に摂取すると体内のナトリウムバランスが悪くなる。ウルトラマラソンや24時間マラソンには向いていないドリンクだとわたしは考えている。
ウルトラマラソンを走るトップランナーはOS-1などのハイポトニックウォーターを好む人もいるので、どちらが正しいのかはわからないが、わたしの理論で言えば、アイソトニック飲料を飲んでおいたほうがいい。
少なくともわたしの体は今回の24時間リレーマラソンと100kmのウルトラマラソンで1度も干からびていない。超長距離においては、水分の給水速度は気にする必要はない。こまめな給水が大事なのだ。
それも数分に1度ぐらいの早いタイミングがいい。1253mに1回の給水は明らかに少なすぎる上に、1度のがぶ飲みをしてしまって気持ち悪くなってしまう。
とにかくわたしには精神的な余裕がある。時間も距離も怖くない。
ここからはもう、ほぼ歩行で耐えしのぐしか選択肢はなかった。とにかく歩いて休んでを繰り返して1周を何度も積んでいく。幸いにも2日目は朝から曇天。路面は上昇しにくい。
そう思っていた。
残り2時間になったところで、あと4周は走れるつもりだったのだが、休憩を終えて外に出て、わたしは焦ってしまった。本日お休みのはずの太陽が絶賛営業中だ。
テントの外に足を一歩踏み出した瞬間にわたしは絶叫してしまった。
こんなところで終わるのか・・・そんな思いが頭をよぎるが手の打ちようがない。お空の神様が再び太陽を雲の向こうに連れて行ってくれるのをひたすら待つだけ。
そして残り1時間半。そこから再び太陽が雲の向こう側へと隠れてくれた。
もうここからはノンストップで駆け抜けるしかない。走れない体をなんとかごまかしてスピードを上げていく。
残り40分、あと2周は行けると思ってさらびスピードを上げて・・・そこで筋肉は完全にオールアウト状態。まさかの仕掛けが早すぎて、最後の1周は再び歩き。
それでもなんとか時間内前にゴール前に到着し、そこからはともに24時間を戦った仲間と手を取り合ってゴールに向かう。そしてわたしの「第15回24時間グリーンチャリティリレーマラソンin東京ゆめのしま」は幕を閉じることとなった。
24時間男子76位/86名 54周 67.662km
こうして河童の美学は過去最低記録とともに守られることとなった。スタートから24時間後にゴールラインを自分の足で駆け抜けることが出来た。それだけで十分だ。
ただ一つだけ。
来年は24時間の前の週にウルトラマラソンを入れるのは、ちょっと考えよう。これではいったい何をしているのかわからない。
それよりも、走れなくなった体が今後戻ってくれるのかが心配ではあるのだが。
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