行間は読まれない時代【誤解が生まれないようにすべて書き出す】

昭和から令和までの音楽を振り返るテレビ番組を見ました。3時間の番組ということで、見終えるのに3日もかかったのはここだけの話。子どものころ、テレビは1日1時間までというルールで育てられたからか、同じ番組を長く見るのが苦手です。もっとも隠れて1時間以上見ていましたが。

最近の楽曲と昭和の楽曲は言うまでもなく、まったく違うものになっていて、昭和の歌詞はシンプルな言葉の組み合わせでしたが、令和の楽曲になると、それはもうひとつのアートのように複雑な歌詞になっています。その移り変わりをおもしろいと思いながら見ていたわけです。

モデルあがりのタレントさんが、関白宣言やセーラー服を脱がさないでの歌詞に否定的なコメントをしたと、ネットニュースになっていましたが、それも時代の流れなのかもしれません。関白宣言に近い歌詞を今の歌手が歌ったら大炎上するのは間違いなく、でもそれはきちんと歌詞を読み取れなくなっている証拠でもあります。

関白宣言はとても温かさのある歌詞で、その言葉の裏にある優しさが好きなのですが、いまどきのTikTok世代はきっと、言葉の表面だけを受け取るのでしょう。昭和の歌詞はシンプルであるがゆえに、行間だったり裏読みだったり、日本語を巧みに利用した歌詞になっています。

反対にいまどきの楽曲は、ものすごい表現力ではあるのですが、言葉ですべてを伝えなくてはいけない時代だから、そのように進化したとも考えられます。要するに歌詞の言葉の裏を読み取ってもらえないから、誤解のないように全部言葉にするわけです。そうなると自然と言葉の数も増えていきます。

どちらがいいという話ではなく、たとえば私が何か文章を書くときには「行間を読み取れ」なんて考えてはいけないという戒めのような話です。できるだけストレートに表現して、変化球は避ける。なんだかつまらない文章になりそうですが、そうでないと間違って解釈され、炎上することもあるわけです。

そういえばRUNNING STREET 365でも、ある商品をTwitterで紹介するのに、文字数が限られているのもあって、ちょっと言葉足らずの説明になってしまいました。それに対して噛み付いた人がいたのですが、確かにTwitterの文面の上っ面だけを読み取れば、その人の言うことが正解です。

でも、そう取られないように、ほんの僅かながら布石をしておいたんです。そこまで読み取れば噛みつかれることもないはずなのですが、若い世代なのか布石は見事に無視されてしまいました。その人が悪いのではなく、私の配慮が足りなかっただけなのですが、そういうこともあるのだなぁと。

私は比較的、誤解を招かないように文章を書けるタイプなのですが、多分これからはさらに気をつける必要があるのかもしれません。反対に、いまどきの楽曲のように、言葉ですべてを表現してしまうか。もしかしたら、最近の小説などもそういう書き方をしているのかもしれません。

私は邦画が好きで1ヶ月に1本くらいのペースで映画館に出かけて観ているのですが、邦画というのもすべてを語らない文化の代表みたいなところがあります。だから若い世代にはウケが悪いのかもしれません。「何を言いたいのかわからない」といったレビューもよく見かけます。

それを想像力に欠けていると切り離すことは簡単ですが、もはやそちらがマジョリティなのであって、大衆受けしたいのであれば、想像力に欠ける人がいることを前提に、ものづくりをしなくてはいけない時代。スマホのように取説がなくても、いきなり使えるものを提供しなくてはいけないわけです。

これにより文化が衰退するのか、それとも新しい文化へと推移していくのか。なかなか面白いテーマかもしれません。いずれにしても文章の書き方も時代に合わせて微調整が必要なのは間違いありません。年金をもらうまではそこに迎合しなくてはいけないのがライターの立場の弱さ。このブログで好き勝手書けるから、別に構わないんですけどね。

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