競ったり比べたりするのをやめれば本当の自分が見えてくる

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わたしは争うことや競うことが好きではありません。正確に言えば興味がありません。なぜそうなのかよく分からなかったのですが、朝のランニングをしているときにふと気づいたことがあります。

小さな頃、わたしはずっと「自分で考えなさい」と叱られ続け、さらに他の人と比べることがほほ禁止に近い状態にありました。他愛のない話ですが、友だちが何かを買ってもらっても、それがわたしに買い与える理由にはなりませんでした。

我が家が貧しかったかというとそうでもないとは思います。少なくともお金に困っている家ではなかったような気がします。自分で考えて、自分でやると決めたことは大体何でもやらせてもらいましたから。

勉強もあまりにしないと怒られましたが、成績について何かを言われたことはありません。勉強はきちんとしなくてはいけませんでしたが、何点を取ろうが褒められることも叱られることもありません。

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高校進学も、大学進学も自分で進路を決めました。大学に行かないと言ったときだけは「大学にだけは行っておけ」と反対されましたが、それ以外には常に自分で決めることの連続です。

そして、自分で決めるときの基準は常に自分でなくてはいけませんでした。他の人がしているから。友だちが言ったから。そういう他人任せの判断は認められません。

いや、途中からは認めてくれていたのかもしれませんが、高校時代くらいにはすでに誰かと比べるというようなことはしなくなっていたような気がします。わたしはわたし、他人は他人。

だから、わたしは誰かに憧れるというようなこともなく、「こういう人になりたい」ということもありません。小説の中の人物に影響を受けることはありますが、それは空想の人物だからこそできることです。

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この人の文章や考え方が好きだなと思う作家さんはいます。でもある程度まで読み込むと、距離を置くようになります。あまりにその作家さんを追い続けると、その人の思想に染まってしまいそうだから。

小説を読み返すこともほとんどしません。その小説の影響を受けるのが嫌だから。

そういう考え方は小さかった頃に身につけました。それが親の意図したことなのかどうかは分かりません。あの頃はそれがとても苦しかったのですが、今となってはその苦しみがあってよかったとは思います。

わたしは体が弱かったのもあり、幼稚園の頃から運動を習慣化していました。最初はスイミングでしたが、そこから野球やソフトボール、ハンドボール、サッカー、フットサル、そしてマラソンです。

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スイミングはまったく上手くなりませんでした。上手くならないというよりは上手くなりたいという気持ちがありませんでした。結局、小学校4年になるときに引っ越しをしてそこでやめてしまいました。

野球などの集団スポーツは意外と続きます。勝ち負けが自分の力だけで決まらないのが、わたしには良かったのでしょう。野球は本当に下手くそでした。いつもベンチで、それを悔しいとも感じませんでした。

下手なのは分かってましたし、そういうものだと思っていましたので。

サッカーでは多少は勝ち負けにこだわるようになりましたが、結果よりも負けているのにヘラヘラしているのを見るのが嫌いだっただけで、全力を出して負けているのに悔しいと思うことはありません。

勝負は時の運ですし相手があってのこと。

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そんな生き方をしてきたから、やっぱりマラソンでも勝ち負けや順位というのを競う気にはなれません。いつも最後尾スタートでいいやと思いますし、何かの大会で2位に入ったことがありますが、表彰されるのが恥ずかしいだけで喜びは1ミリもありませんでした。

トレランの大会で、トレイルの入口に向かってロードを我先にと走っている人を見ると気分が萎えます。別にその人たちが悪いわけではなく、ああやって我を出す気にはなれないというだけのことです。

わたしが走っているのは自分の体の変化が楽しいからです。ランナーや沿道の人たちとのコミュニケーションも好きですが、誰よりも速く走ってゴールしたいという意欲はまったくありません。

ハルカススカイランが好きなのは、ウェーブスタートで競う相手が見えないからです。自分のベストを尽くすだけで、その結果、過去の自分よりも上手く走れれば嬉しいのですが、ただ大事なのは結果ではなくその過程です。

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そんなことは絶対ないのですが、まったく練習をせずに結果を出しても面白くもなんともありません。速くなるためのプロセスをきちんと踏んで結果を出せして初めて、上出来だなと思える程度です。

誰かと競わないというのは思ったよりも大変です。敵は自分の弱さですし、評価の基準はいつだって自分自身です。でも、どんなことだって個性だって思うことができます。

わたしは161cmと男性の中では低いほうですが、それも個性だと思っているのでコンプレックスに感じることはありません。収入だって笑ってしまうくらい少ないですが、それも自分らしさの結果です。

隣の芝生が何色だって別にかまいはしません。必要でもないのにうちの庭には芝を植えないというのがわたしのスタンスです。比較するものがなければ競う必要もありませんから。

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だからわたしは、他の人と同じことができないのかもしれません。

みんなと同じベクトルを向かないようにしてきた結果、こんなひねくれた男が出来上がったわけですが、そんな自分が好きだから周りには迷惑をかけていますが、それはそれでいいかなと思っています。

競ったり比べたりするのをやめれば本当の自分が見えてきます。そのなかで輝きそうなものを一生懸命磨いていれば人生はだいたい面白おかしくなっていきます。

ちょっと疲れたなと思う人は、そういう考え方もあるのだと頭の片隅にでも置いておいてくださいね。


劣等感という妄想: 禅が教える「競わない」生き方
著者:枡野 俊明
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