いずれ尽きてしまう限られた時間の中をわたしたちは生きている

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驚くべきことに、わたしがいまの会社に入社して5年間、この会社で会議が定刻に始まったことが一度もない。そして、それがあたり前のようになっている。わたしが社会人になったときに徹底させられた5分前行動とはいったい何だったのか。そしてこれは他の会社でもあり得ることなのだろうか。

わたしは個人として働いていた時期があったため、時間=お金という感覚が身につていしまっている。仮に会議が5分遅れで始まったとして、そこに20人参加するとすると、100分に値する金額の損失ということになる。たかだが数千円の話じゃないかと思うかもしれないが、利益というのはこういうことの積み重ねが大事なのだ。

50円で買ってきたものを100円で売ることはそれほど難しいことではない。難しいのは売買の利益として得た50円をいかにして最終的な利益にできるかどうかということだ。無駄な時間を消費するということはその50円の利益を目減りさせていくことになる。

だから決められた時間に会議を始められない会社、終わらせられない会社はその他の部分でも無駄な出費を繰り返し、気がつけば利益が全くない状態におちいってしまう。無駄な交通費、無駄な残業、無駄な経費…小さなものでも積み重ねると大きくなるのだ。

それとは別に、時間にルーズであることは信用を失うことになる。待ち合わせをして相手を待たせるということは相手の時間を盗んだということになる。もちろん人間だからたまには遅刻するようなこともあるだろう。そういうことに目くじらを立てるつもりはない。繰り返し時間を守らない人をわたしは信用しないし、それはわたしだけではないはずだ。

1日が24時間でまったく足りないと思っている人たちにとって、数分だって貴重な時間だ。わたしは通勤時間というのはこの上なく無駄な時間だと思っているので、基本的に職場まで歩いていける距離で暮らすことにしている。通勤時間に往復で2時間も3時間もかけていいような生き方はしていない。

もし職場が都内の一等地に移ったとしたら、どんなに高い家賃だろうとそれでも職場の近くに引っ越すだろう。タイム・イズ・マネーなのだ。この感覚はあまり理解されないのだが、わたしの中ではあたり前の感覚となっている。職場と家が近いと頭を切り替えられないという人もいるが、わたしはそんなことより時間のほうが大切だ。

わたしたちが手にすることのできる時間は無限ではない。いずれ尽きてしまう限られた時間の中をわたしたちは生きている。そのことを決して忘れてはいけない。1分1秒をムダにするなとは言わないが、失った時間は決して戻ってこないことだけは忘れてはいけない。そして人から盗んだ時間も当然返すことは出来ない。

時間というものはあなたの持つ決して増えることのない資産だと思ってもらいたい。どうやっても確実に減っていく。しかも残り時間はいつだってわからない。ほんの数秒後にゼロになる可能性だってあるのだ。自分の時間をどう使おうがその人の勝手ではあるが、他人の時間についてはもう少し慎重に向き合ったほうがいいだろう。

難しいことはない。時間を守る。約束を守る。人を裏切らない。ただそれだけでいい。ただそれだけがどれだけ難しいことなのかはあえて言葉にする必要もないだろうが。

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