全力で今日を生きたという日々の積み重ねだけがおいらを満たしてくれる

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頭の先から爪の先まで、通常営業をしている状態の部分がまったくない。明日からまた仕事が再開するわけだけど、ほとんど仕事にならない予感が満ちあふれている。足は長い時間立ち続けられないほど疲労が溜まっているし、脳は九九も2の段までしか暗唱できないぐらいに化学反応レベルを下げている。心拍数が高いところで安定しているのもよくない。ここはじっくり回復を待つしかないのだろう。待つのは母の作ったオカラの惣菜の次に苦手なのだけれども。

なぜ、おいらは日本橋から伊勢神宮走るなんて無謀な計画を立て実行してしまったのだろうか。いつ頃からかはわからないけど、気がついたらやりたいと思ったら、行きたいと思ったら実行してしまうようになっていた。先々週の香港もそうだし、万里の長城マラソンに関することもそう。そして、できる限り自分を厳しい状況に置きたがる。マゾなんだろうと決めつけるのは簡単だ。ストイックだと無理にでもポジティブに表現してくれる人もいる。ただ単に頭のネジが数本足りていないだけかもしれない。

でもどれも違う気がする。昨日、今日と少しだけ街に出る機会があった。いまも鎌倉のカフェでこの原稿を書いている。周りの人たちを見ていると思うんだ、「なんかちがう」って。おいらたちの親世代は豊かになるために一生懸命働いてきた。いま話題のブラック企業なんて、彼らの時代から考えれば普通にどこにでもある企業なんだろう。命がけで、人生をかけて働いてきた。おかげで、いまこの時代ができあがった。でもその次代が作る風景を見ているとおいらはなぜか悲しくなる。

すごく緩くて居心地がいい。前の世代が次の世代のために作り上げたユートピアだ。やり方を間違えなければ神経も肉体もすり減らさずに生きていける。肩の力を抜いて、全力を尽くさなくても流れに乗ってしまえばなんとかなる。流行りのファッションや、流行りのカフェ。流行りのライフスタイルをなぞっていく。するとなんとなく充実した気分になれる。あぁ自分は満たされているんだなと思えてくる。

でも本当は満たされていない。少なくともおいらは。

たくさんのつらい思いや、涙をながすような悔しさを知っている人だけがふれられる世界がある。おいらはこの8日間で思い出しただけで吐きそうになるような苦しい思いを何度もした。そのかわり心も体も「生きたい」と主張し始めた。どんなことがあっても生きてやると心と体が叫んでいる。そう、おいらが欲しいのは「生きているという実感」なのかもしれない。もっとも今のような時代がこれから何十年も続くのなら生きている実感なんて必要ないのかもしれない。せっかく親たちが作ってくれた居心地のよい世界なんだから、それを満喫すればいい。ただ、おいらはそういう生き方ができないというだけのことだ。

全力で今日を生きたという日々の積み重ねだけがおいらを満たしてくれる。不器用で不格好かもしれない。でも、人生は一度しかない。そして誰もに生命を終わらせる日がやってくる。それが明日であっても、いや、たったいまこの瞬間であってもかまわないと思えるように生きたい。そのために、たまには居心地のいい空間から思い切って飛び出していかなきゃいけない。おいらにとってそれが旅ランだったり海外だったりするわけだ。だからきっとこれからも続けるのだろう。ただし真夏のランニングのあり方に関しては大きな反省が必要であることは間違いない。

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