お盆休みに東海道を歩いて感じたことを伝えてみようと思う

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東海道53次の途中まで自分の足でつないだわけだけど、地図のうえで見たり本を読んだりして想像するのとはまったく違うせかいがそこにはあった。百聞は一見にしかずと言うけど、まさにそのとおりだ。自分のイメージの中で作られた東海道と現実の東海道の違い、そして現代の東海道の位置づけなどなど今回の旅で感じたことを伝えてみようかと思う。知っている人なら当然知っているあたりまえのことから、意外と知られていない事実…なんかあるかどうかは読んでからのお楽しみ。

東海道を整備したのは言うまでもなく江戸幕府だ。それまではもちろん道としては整備されていて、飛鳥時代ぐらいからあったらしい。徳川家康が1601年に「五街道整備」を始めたのは期末テストに出てくるので覚えておくように。松並木の整備や一里塚を配置したりして、旅を快適にするための基礎がこのとき築かれたと言っていい。そのうちのひとつが「宿」で江戸の日本橋から京の三条大橋までのあいだに53ヶ所の宿場町を制定した。箱根や新居に関所を作ったのもこのときだと言われている。

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53の宿場町となっているけど、実際にはもっと多くの宿場町がある。それが間の宿だ。宿場町の間が長い場合や峠越えの場合に、ちょうどよいタイミングで旅籠に泊まれないことがある。そういう人たちを受け入れるために、非公認の宿場として発達したのはこの間の宿。これが意外と多いことに歩いていると気付かされる。本来ならこの間の宿は泊まることができないんだけど、実際のところは宿泊施設としても活用されていたのだとか。

現代では基本的にこの東海道を管理しているのは都県ごとになっている。だから県をまたぐと、まったく違う道を歩いているような感覚になる。道がわかりやすいのは東京と神奈川。旧東海道をほぼそのまま国道15号線と国道1号線が引き継いでいるから迷うことがない。一部、脇道にそれるけどすぐに戻ってくるので、間違うことはほぼありえない。歩いていて楽しいのは静岡だ。各宿場における看板が統一されてて次までの距離がわかりやすい。景色もどんどん変わっていく。海があったと思ったらすぐに山がある。逆に愛知は厳しかった。旧東海道をなかったことにしようとしているかのような扱い。

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宿場町そのものをどうあつかうかは各地域によってそれぞれ違うみたいだ。旧東海道の趣を残そうとしたり、新しくても雰囲気のある街づくりにしているところもある。都市になればなるほど、重要視されなくなる傾向にはある。立て看板だけで終わらせようとする地域もある。なんならどこが本陣かわからないような地域すらある。愛知がとくにそうなのは言うまでもない。なんだろうあの東海道愛のなさは。愛知ではなんどか道に迷いかけたし、現代の道路や線路によって東海道がずたずたに分断されている。宿場町も岡崎の27曲がりのように、ひねくれているとしか思えない作りがあったりする。それはそれで面白くていいのだけど、現代の街づくりにはいかされていない。

宿場町は防御のための役割も兼ねている。きちんと制定されたのは天下が太平されたあとだけど、戦国時代にも存在していたからだ。だから宿場町は枡形と言って入り口で直角に曲がるような道になっていて、外部からの侵入をしにくくしていたりする。岡崎の27曲がりはその典型とも言える。東海道好きにはたまらなく楽しい道らしいけど、さっさと走り抜けたいおいらには邪魔でしかない。

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今回歩くまで、おいらは静岡というのはもっと平坦だと思っていた。ところが、むしろ平地のほうが少ないのだと気付かされた。宿場町も多くが盆地になっていて、4方を山に囲まれている。静岡県民にしてみればなにをいまさらと思うかもしれないけど、じっくり静岡を見たことがなければ誰も気が付かない。そして、菊川を歩いているとわかるけど、お茶畑が半端ない。静岡県民がお茶を誇りに思っているのがよく分かる。ただ、大量生産のためには仕方なのだけれども、農薬の匂いが立ちこめるお茶畑というのはいまいちだ。いまどきの農薬は人体への影響もかなり少ないんだろうけど、気持ちよくはない。逆に掛川の街の一部ではお茶の香りに包まれている場所がある。おそらくお茶の工場があるのだろう。なんとも言えない幸せな気分になれる。

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衝撃的だったのが吉原の宿場町が津波の被害で2度も内陸部に移動したということ。他の宿場町も津波の被害でやられている。3.11の大地震の影響で津波の恐ろしさを目の当たりにしたけど、地震と津波の関係はずっと昔から日本人が経験してきたことなのだ。おそらく東北地方もそういう文献は残っていたのだろう。でも、いつの間にか忘れられてた。言い伝えのように残っていた地域ではすぐに高台に登ったという話も耳にしたけど一部でしかない。もし東海道で地震と津波が発生したら、まず間違いなく海沿いの道が壊滅状態になる。国道1号線、東名高速道路、東海道本線、東海道新幹線のすべてが長期間ストップする。中央道があるからよいとするのだろうか。非常に危険な状態だということだけは頭に入れておいたほうがいい。

こんなふうに、自分の足で進み、自分の目で見たからこそ感じることがある。歩を進めながら考えさせられることがあり、人との出会いに救われることもある。それもこれも部屋に閉じこもっていたのでは味わえないすばらしい経験だ。残りは伊勢路になるけど、いつか残りの東海道も歩いてみたい。もっともっと時間がとれるようになったら、五街道制覇というのも面白そうだ。海外もいいけど日本にもまだまだ魅力が詰まっていると感じさせてくれる350キロでした。

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