子どもの頃に嫌った大人のようになっている人たちへ

子どもの頃に嫌った大人のようになっている人たちへ

埼玉の朝霞で開催される練習会のために、土曜日の朝から都内経由で朝霞まで移動。前日に睡眠不足だったのもあり、座席に座って寝ていたのですが、小さな子どもが駄々をこねる声で目が覚めました。聞き耳を立てると、小さな子は何か持ってくるのを忘れたのだとか。

お父さんと2人だったのですが、その子がそれが必要だと駄々をこねて、でもそれを取りに帰ると水族館のショーに間に合わないという状況。なので、お父さんは「そこまで言うなら取りに帰るけど、ショーは見れないよ」とその子に伝えています。そうなると、その子はそれは嫌だとなるわけです。

でも、持ってくるのを忘れたものも諦められない。小さなお子さんのいる家庭ならよくある話ですよね。選択肢は2つあり両方は手に入らない。でも子どもはどちらも諦められない。こういうときに、世のお母さん方はどう対応すればいいのか、それぞれに答えがあるのかもしれません。

こればっかりは私にも、どうするのが正解なのかは分かりません。ただ、こんな分かりやすい状況においても、子どもは冷静な判断はできないというのが現実で、駄々をこねる状況になると、論理的かどうかなんてまったく意味のない議論になってしまいます。世の中には正解のない問題が溢れています。

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記事を作成する関係で、いまメタバースについて調べています。もちろん知っていた言葉ですが、どうも胡散臭い雰囲気があるので、触れないようにしてきました。でも仕事なので、そういうわけにもいかず、メタバースの基本から学び始めたわけです。今の結論としては「何もわからない」が私の答え。

まだ、メタバースがどんな未来をもたらすのかはまったく見えていません。なのに、ITテクノロジーに詳しい人たちが、こんなの流行らないなんて決めつけている動画を見て、そういえばこういう、何でも否定から入る大人にはなりたくなかったことを思い出しました。

その動画に出ていたのは、日本でも先進的な考えを持つ人たちで、おそらく彼らの信者は「メタバースは失敗する」と思い込むのでしょう。別にそのことはどうでもいいのですが、発言がしている内容がひどく、なんて柔軟性がないのだろうとストレスを感じながらの試聴。

彼らは逆張りすることで自分の存在感を示したかったのかもしれませんが、あれでは存在意義を疑われかねません。ここで言いたいのはメタバースの未来についてではなく、自分自身をどう見せたいかという、セルフブランディングの話です。私の価値観からすれば、なぜあのような人たちが重宝されるのか不思議です。

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大衆はわかりやすい答えを示してくれる人を信じ、その人を神として崇めます。裸足ランニングの世界にもそういうのがあり、恐ろしいことに彼らの一部は、崇める対象を「レジェンド」と呼びます。私は裸足ランニング歴も長く、そこそこ走れる部類ですが、間違ってもそういう扱いはされたくないものです。

大人を嫌っていた人ほど、嫌っていたその大人に近づいてしまうパラドックスに、名前を付けてもいいのではないかと思います。なぜ私たちは幼かった頃の気持ちを忘れてしまうのでしょう。大抵の人は、大人になる過程で理不尽な思いをしてきたのに、いざ大人になると同じことをしてしまう。

論理的に相反する2つの選択肢が発生したときに、どちらかしか選べない。それは大人の理屈では「当たり前」なのですが、なぜどちらも選ぶことがいけないのかは子どもにはわかりません。それが子どもというものですし、少なくとも私たちはそうやって育ってきました。

なんでもわかったような大人にはなってはいけない。分からないことはわからないと言える大人になる。意見を求められる立場になると、それはとても難しいことかもしれません。ノーコメントばかりを繰り返すコメンテーターなど無能の極みですから。ただ、無能と思われることを避ける必要などどこにもありません。無能でいいじゃないですか、楽しく生きられれば。

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