46歳にして知らないということを知る【学びは面白い】

司馬遼太郎さんの街道をゆくシリーズの「因幡・伯耆のみち」を読み終えました。昨年から2回ほど境港の仕事をしているのもあって、ちょっとは鳥取について知っておきたいなと。毎度のことながら、街道をゆくを読むと自分の無知を知らされることになります。

あれだけ多くの書き物をしておきながら、膨大な量の資料に目を通しているわけで、ちょっと人間業とは思えません。そんな人が書く小説だから、坂本龍馬という幻を多くの人が信じてしまったのも納得できます。坂本龍馬の名前は教科書から消えるとか消えないとか。

物書きとしてそれくらい盛大な誤解を世の中に残せたら、それはそれで気持ちのいいことのように思えますが、ここまで話が大きくなると、空の上で司馬遼太郎さんは居心地悪くしていたのかもしれません。歴史が正しく修正されるのはいいことです。

ただ街道をゆくは、想像の部分と資料を参照にした部分が明確になっていて、想像の部分はそのように記載されています。もちろん資料にしたものが間違っていることもあります。なんせ私が生まれたくらいに書かれた書籍ですから。

国引き神話というものがあり、島根半島は北陸から引っ張ってきて出雲の国にくっつけられたという記載がありました。そのときの杭に使ったのが大山で、ロープが弓ヶ浜半島になったとか。まぁそれは作り話なわけですが、私の親世代なら常識かもしれません。

私の母は島根県の人なので、「国引き神話も知らんの?」と言われそうですが、私たち世代は日本書紀も古事記も読んでないので仕方ありません(国引き神話は出雲国風土記に記載)。なので、私たち世代以降はきっと日本がどうやってできたかの話を知りません。

そんな作り話を知っても仕方ないというのが、現代の考え方かもしれません。でも日本というのは世界的にも特殊な国であり、天皇制というものについて理解するために、そういう過去の書物もきちんと目を通しておかなくてはいけないんだなと痛感させられます。

その弓ヶ浜半島はそもそも砂丘だったそうで、そこに用水路を作ったのが、米村所平という人物。米子から境港まで用水路を作ったそうなのですが、それって境港の人たちはどれくらい知っているのでしょう?銅像が建ってもおかしくない人物なのですが、境港ではそんな話を聞いたこともありません。

ちなみに弓ヶ浜は、そもそもは夜見が浜と呼ばれており、夜見は「黄泉」であり、砂丘で人が暮らすことができなかった場所だから、あの世というイメージが定着したのかもしれません。その先にある境港がゲゲゲの鬼太郎の聖地となっているのは偶然か必然か。

さらに「山」を「せん」と呼ぶのは、山岳信仰の山のことを「さん」や「せん」と読んでいたからという説が、街道をゆくに記載されています。自分で調べたら、その他にも中国人が多く暮らしていて、中国語読み「shān」から「さん」や「せん」と呼ぶのだとか。

中国地方の中国は、中華人民共和国の中国とは関係ないとされていますが、でも中国人が多かったのは事実であり、なぜ中国人が多かったのかはわかりませんが、もしかして国引きで朝鮮半島を引っ張ったときに、一緒に来たとか来ないとか(それは私の妄想)。

知るということは新しい興味を呼びますし、やっぱり学ぶというのは楽しいですね。次に境港に行けたとしたら、見えるものがまったく違ってきそうです。米村所平を偲んで米川沿いを走ってみるのもいいかもしれません。もっとも気持ちはもう「檮原街道」に移っていますが。

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