考えることをやめなかった人だけがたどり着ける領域というものが確かにある

  • 2015.06.29
  • (更新日:2019.11.13)
  • LIFE
考えることをやめなかった人だけがたどり着ける領域というものが確かにある

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ある料理店で、セットメニュー用のスープを早く容易すぎたためお客さんに出す前に少し冷めてしまった。それに気づいた担当のシェフはスープを新しいものに取り替え、冷めてしまったスープは流して捨ていた。この一連の行動について考えさせられることがある。

担当のシェフがとった行動の賛否を考えると非常に難しい話になる。お店のオーナーであったり、お客さんだったりと立場の違いによって何が正しいかの答えは違ってくる。

もし経営者が合理主義者であるなら、担当シェフの行動は叱責値するのだろう。なぜ、タイミングを見計らってスープを用意しなかったのか。スープが冷めていたとして、何度以下だと廃棄するという基準を持って決めているのか。少しぐらい冷めたって大した問題ではない。合理主義者はいつだって数字が好きで利益こそが正義だ。

実際にチェーン店の居酒屋ではぬるいビールが出てくることもあれば、冷め切った料理が出てくることもある。それでいてお客さんは値段の安さからか途切れることはない。廃棄は損失であり、コストのためならお客さんにも協力してもらわなければいけない。それで儲けられるなら何が悪いのだという感覚だろうか。

そうではなく、お客さんに最高の品を提供し喜んでもらって、その上で正当な報酬をいただく。これがそのシェフもしくはお店の方針なんだろうとわたしは感じている。そして、それはわたしの考え方に近い。ビジネスの世界においてはそういう考え方が甘いとされるのは理解しているが、ビジネスにおける大前提は相手の喜びではないだろうか。

喜んだり納得してもらえないで得る報酬は気持ち悪い。喜びというのは感情であり、理屈だけでは成立しない。どれだけ立派なマニュアルがあってもそれだけでは足りないことはマクドナルドや和民のいまを見ていればわかるだろう。そしてこの料理店は地元に根づいた人気店になっている。

結果が全てだという考えからすると、この店の方針も正しいということになる。目先の利益を追うことばかりが儲けにつながるのではない。遠回りでも自分が正しいと思うことを貫けば必ず結果はついてくる。

ただ、お客さんに出せなくなったものをどう処理するかということについては別問題だ。彼はお客さんに見える場所でそのスープを処分した。見えなければいいのかという問題ではないのだが、世の中には食べ物を捨てることに不快感や違和感を感じる人が一定数いる。まずはお客さんの目の前で捨てたりはすべきではない。

そして、可能であれば再利用すべきである。お客さんが残したものを再利用するのは問題だが、冷めてしまっただけのスープの利用価値は本当にないのだろうか。もしかしたらお店のまかないで使うこともできるかもしれない。本当に使い道がないのであればやはり捨てるしかない。

それでも捨てるということを当たり前にはしてはいけない。食べ物を扱う人たちだからこそ、ほんの少しであっても食材を無駄にしてはいけないし、その気持を忘れないでいてほしい。廃棄はどうしても出るものだが、そこのことに心を痛める料理人の料理をわたしは口にしたい。

我ながらあまい人間だとは理解している。きっとあまさの残るわたしは大金持ちになることもなければ、社会における成功者になって歴史に名を残すこともない。小さな1人の人としてこの世を去っていくのだろう。お金に対して厳しくなれないし、ちっぽけであっても自分の人生観を大切にしたい。

この話に正解などない。ただこんなふうに日常には考えさせられることがたくさんある。そういうひとつひとつを流してしまわずに自分なりの答えを探すことが大切じゃないだろうか。自分ならこうするという考えとともに、あの人はなぜそうしたのだろうと考える。

担当のシェフはなぜスープを取り替え、なぜスープを捨てたのか。これでもかというほど考える。考えることをやめなかった人だけがたどり着ける領域というものが確かにある。

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