ランナーよ自由であれ!自分だけの特別な場所を探そうではないか

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昨日は皇居で走る人をテーマにブログを書いたけど、伝えきれていないところもあるので違った視点から考えてみようと思う。

その前に今日の練習メニューはは3時間走で、神奈川の大和から渋谷に向かって走ったんだけど、246号線をずっと行けば三宅坂まで行ける。そう、皇居まで走れるのだ。しかもうちから三宅坂までが約37キロ。皇居外周を走ればなんと42キロ…フルマラソンの距離。これは決して偶然ではないはず。いつか挑戦しよう。3時間で行けたのは池尻までで渋谷までは3時間14分。駒沢公園ですでに足がパンパンだったので、いまの実力派こんなもんでしょう。11月末には最低でも表参道までは走りたい。

なぜ皇居にランナーが集まるのか。これは日本人特有の習慣からくるものではないだろうか。富士山が人気だと聞けばみんな富士山へ行き、高尾山が人気だと聞けば高尾山に行く。デートで行きたい場所はディズニーランドだったりUSJだったり。テレビで鎌倉特集をすればこぞって鎌倉に行く。紫陽花の季節だと聞けば箱根に向かう。一億総中流の影響なのか、この国ではなぜか多くの人が流行りを追うことになる。

あまちゃん然り、半沢直樹然り。
パズドラもそう、iPhoneも流行りを追っているだけだ。

そういう生き方って疲れないのだろうかとおいらは不思議に感じている。子どもならいざしらず、例えば30歳を過ぎたいい大人が、流行っているからという理由だけで流行を追うのはどんなもんだろうか。少なくともこの国での流行のほとんどが作られた流行りだ。電通だったり芸能事務所だったりマスコミだったりが作り出したものだ。そういうものに振り回されるのはバカバカしくないのだろうか。

マラソンも数年前は流行だった。ところが、最近は雑誌の特集なんかになることも減ってきた。それでもランナーが増え続けているところにただの流行ではなく定着しつつある段階なんだとおいらは感じている。

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時間に余裕があるなら別に流行を追ってもかまわない。でも、おいらがオススメするのは「自分にとっての特別な場所」を作ることだ。特別な人にしか教えたくないような特別な場所。そういう場所をいくつも持っている人は豊かだとおいらは感じている。それは最高の夕日の見えるビルの屋上かもしれない。波の音だけが聞こえてくる海岸かもしれない。自分にとってここは特別だと思える場所を探すことのほうが流行を追うよりもよっぽど楽しい。

ランナーにとっては特別なランニングコースがそれにあたる。いつものコースではなく、特別な気持ちになれる場所。それはきっと皇居周辺ではないし駒沢公園でも大阪城公園でもないんじゃないかな。純粋に走ることだけに夢中になれる場所。走ることでしかたどり着けない場所。いや、それが皇居なんだという人もいるかもしれないけど、誰もがそうだとは思えない。せっかくランナーになったのだから、自分の特別なコースを探してみたらいい。

もちろん、おいらにも特別なコースがあるし、特別な場所もある。特別な場所は数年に1回しか行かないことが多い。自分のために行くというよりは、「いまこの人を連れて行くべき」と感じたときに訪れることにしている。そういう場所がいくつかある。そういうことが出来るようになったもの実は30歳前後ぐらいからだ。おいらも20代はやっぱり流行を追う1人だったのだ。

だからいまは流行を追っていてもかまわない。みんなが集まるところに行けばいい。皇居周辺も好きなだけ走ればいいと思う。でも、ふと「これでいいのかな」と感じたときに思い出して欲しい。特別な場所を探すということを。すぐに見つかったりはしない。自分のアンテナを張り続けなきゃいけないし、直感も磨いておかなければ、特別な場所の近くに行っても見逃してしまう可能性もある。

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みんなと同じじゃないと不安になる人もいるのかもしれない。

でも、同じ人間はどこにもいないし、他人と自分は確実に違う人間。だからみんなが良いと言っているからという理由だけで真似することはない。流行りを知らなくて仲間はずれにされるのは学生ぐらいまでだ。そういえばピラティスの先生はくまモンを知らなかったし、会社の先輩は剛力彩芽を知らなかった。でも2人とも充実した日々を過ごしているように見える。自分なりのライフスタイルが確立されているから、周りのことなんて気にならないんだと思う。

皇居の周りを走らなくてもいいし、東京マラソンに興味がなくてもいい。そもそもマラソン大会に興味がなくてもいい。走ることが好きであっても、好きの形は人それぞれであるのが自然じゃないだろうか。少なくともランナーはもっと自由であっていいと思う。

走ることは自由への解放だとおいらは信じている。

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