全5回の裸足練習会が終わりました。
上手く伝えられなかったことと、思った以上に意味のあることだったという思いが半々です。もちろんやって良かったなとは思います。少なくとも教えるのが苦手なわたしが、5回も続けたわけですから。
今回は来週のかすみがうらマラソンに向けての短期集中型トレーニングでしたが、もしかしたら、これは継続した方がいいのかなと思い始めました。
現在、神奈川の裸足ランニングクラブが実働していないという話を聞いて、そうなると神奈川で裸足をしている人は行き場がないわけです。神奈川で裸足を学びたいと思っても難しいわけです。
独学で十分だと個人的には思っていますが、誰もが裸足の道を追求しているわけではありません。もっと手軽に裸足で走りたいという人に独学は不向きです。少なくとも独学できる心のあり方までは導く誰かが必要です。
それをするのがわたしの役割かどうかはわかりません。でも、裸足歴だけは無駄に長く、タイムはともかく裸足でフルマラソンを走った回数だけで言えば、きっと日本でもそこそこ上の方に入ります。
経験という意味では、わたしにも伝えられることはもっとあるんじゃないかと思います。
正直なところ、裸足の基本というのは、裸足ランニングクラブが力を入れて普及させて欲しいという思いがあります。やはり裸足ランニングクラブが主流ですし、これまでの実績もかなり大きなものがあります。
言ってみればわたしは裸足界では異端児なわけです。一度も裸足ランニングクラブや裸足王子こと吉野さんのレクチャーを受けていません。100%独学でやってきました。
そういう人間が受け皿になるというのは、いささか荷が重すぎるというものです。
でも膝をケガして走れなくなった人はたくさんいます。その人たちを救えるなんて大それたことは考えていませんし、そういう人たちを救いたいと思うほどお人好しでもありません。
でも……1人でもそれでまた、走る楽しさを取り戻せるなら、わたしが練習会を定期的に開催する理由には十分かなと思います。何千何万もの人を救えはしないけど、目の前の1人なら救えるかもしれません。
いや、救うというのは傲慢ですね。わたしできるのは、道に迷った人に「こっちだよと」言ってあげる程度のことです。そこから抜け出すのはランナー1人ひとりですし、そこから歩き出すのもそれぞれの力です。
ただ、道がわからなくなった人をほんの少しだけ支える。
その人の人生の中で、忘れられるくらい小さな手助けができればそれで十分です。その人たちが自分流の裸足を見つけ出して、誰かに教え始めたらわたしはお役ごめんです。
ハダシストを名乗っていますが、玄関には数え切れないくらいのランニングシューズがあります。ランニングシューズを愛さずにはいられない裸足ランナーです。なんならランニングシューズの選び方を教えるほうが向いています。
それでも、そんな異端児だから教えられることがあります。
裸足ランナーはともすれば「宗教的」とさえ言われてしまうくらい、裸足信仰が強く排他的な部分があります。マイノリティであることを誇りにできる人たちですが、そこがライト層に敬遠される理由でもあります。
裸足は信仰ではなく、ひとつのツールでしかないということ。そういうスタンスで裸足ランニングを教えられる人が1人くらいいてもいいのではないかと思います。
わたしが本当に教えなくてはいけないのは、裸足での走り方ではなく、裸足で走ることとの向き合い方なんじゃないかなと思います。少なくともこんなに適当に裸足と向き合っているわたしが教えれば、学ぶ側も肩の力を抜いてくれるはずです。
裸足でフルマラソンを走れることは偉くもなければ、すごくもありません。裸足は万能ではなく、裸足になればケガをしないわけでもありません。
なぜ裸足で走るかなんていう理由なんて十人十色で「こうあるべき」なんてものは存在しません。わたしならそれを伝えられるんじゃないかなと思います。
「あの人は不まじめな裸足ランナーだけど練習会は楽しいから行こうかな」そう思ってもらえるようなものを5月以降から月1回やってみようと思います。
まだ、スケジュールも決まってませんし、どうせするなら裸足練習会ではない、もっとイケてる名前をつけなきゃと思いますので、いろいろ決まればまた報告します。
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