夕方に少しだけランニング。どれくらい動けるかわからなかったので適当にジョグをしようかなと思いましたが、足がいつもの公園に向かっていたので、靴を脱いで裸足ランニング。裸足が何かに役立つからというのではなく、ただそうしたかったから靴を脱いだだけ。
私にとって裸足で走るというのはそれくらいの感覚です。靴を脱ぐのに気合を入れることもありませんし、裸足で走ることで何かを期待することもありません。最もナチュラルな状態ではあるので、理由がないときは基本的に裸足ですが、例えば一昨日の旅ランは周りを引っ張らなくてはいけないのでシューズでした。
何をするのかで何を履くのかもしくは履かないのかを決めます。ランニングシューズにも裸足にも得意不得意があり、そして我が家には数え切れないくらいのランニングシューズがあり、それらをできるだけ平等に使い分けるようにはしていますが、目的に合わないシューズを履くことはありません。
スピード練習に履くシューズは決まっていますし、坂道ランをするときのシューズも決まっています。それぞれの特製を考慮した上で、その日の練習で何をしたいのかを考えて1足を選びます。自分のコンディションを考えて選ぶこともあり、その中のひとつに裸足があります。
かつて裸足で箱根峠を越えたこともあります。それをやってわかったのは、裸足には不適な路面もあれば、裸足のほうが走りやすい路面もあるということ。今でもきっと裸足で越えることができますが、別にしたいとは思いません。それをすることに何の意味も感じないし、心がそれを望んでいないので。
人がやらないことをやるのは正直楽しいです。自分の可能性が広がっていくようで。裸足を始めた頃の私は「こんなことやったよ」とアピールしていましたが、いま考えればちょっと恥ずかしいことだったなと。誰もやらないことは誰も興味がないことで、表面上は「すごい」と褒めてくれますが、その本質は伝わりません。
そんな社交辞令に喜ぶような年齢でもありませんし、裸足のコミュニティのような狭い世界で持ち上げられても居心地が悪くなるだけ。別に人が集まることは自由だと思います。マイノリティだから集団になりたくなるのもわかります。でも、私は馴れ合いの関係が苦手。
裸足で何か挑戦をして、裸足のコミュニティの人に「すごいですね」と言われるのは、どうも気持ちが良くありませんでした。「すごい」というのはどこか「自分にはできない」という諦めのニュアンスも含まれてて、いやいや「すごいじゃないくて挑戦してみればいいやん」といつも思うわけです。
私は裸足ランニングを誰かに教わったこともありません。ただシューズを脱いで自分なりに試行錯誤をして走り、自分なりの考え方を構築していきました。その過程で「これは裸足だからできない」なんていう思いはなく、逆に「裸足じゃないとできない」なんて思想もありません。
薄底のシューズや厚底のシューズがあるのと同じように、裸足があるだけです。それぞれ使いどころがあって、私はそれをチョイスするだけ。ただ裸足だけは定期的に使い続けないと劣化してしまいます。使い続けることで強化することもできるのですが、まぁその程度のものです。
道具のひとつでしかないので、裸足でもシューズでも走れるというのは、WindowsもMacも使える程度の話です。いや、さすがにLinuxくらいの難易度はあるかもしれません。ただいずれにしても道具に過ぎないわけです。それを誰かに自慢したり、褒めてもらおうとするのは恥ずかしいこと。
裸足を啓蒙している人だとまた違うんでしょうけどね。こんなこともできるよという可能性を見せる必要がありますから。ただ、その過程でシューズを批判するという訳のわからないことをする人もいてですね……まあ人のすることなのでどうでもいいですが。いずれにしても、裸足は選択肢のひとつ。特別なことはひとつもありません。
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