誠実であるということ:「ごめんなさい」という魔法の言葉

RUNNING STREET 365に掲載している北海道マラソンの大会情報をアップデートするために、北海道マラソンのサイトをチェックしていたのですが、大会情報の項目に気になる項目がありました。そこには「前回からの改善点/変更点」と書かれています。

「改善点」という言葉を公の場で使うことは、かなり勇気のある行為になります。「前回からの改善点」としているわけですから、それは「前回大会では問題があった」と認めていることになります。失礼ながら、私は北海道マラソンがこんな誠実な対応ができる大会だと思っていませんでした。

昨年の大会はRUNNING STREET 365でも少しバズったくらい、とんでもない大会でした。大会前の1週間は最高気温が37℃を超える日があり、大会当日は少し気温が下がりましたが、それでも30℃オーバー。そしてレース後半に雷雨(詳しくはRUNNING STREET 365の記事をご確認ください)。

RUNNING STREET 365の記事でも書いていますが、私は基本的に大会事務局に非があるとは考えていません。あのようなコンディションでの開催は想定しておくべきというほうが無理があります。でも北海道マラソンの事務局は「自分たちにできることはあった」と受け取り、改善策を考えたわけです。

もちろん他の大会でも、前年度に課題が発生したことに対して改善を行っています。でも、そのほとんどがサイレント改善で、課題が発生したことに対しては特に説明することもありません。改善できたならいいという考え方もありますが、それは「誠実」ではありません。

誠実であるということは、それだけで信頼する理由になります。多くの人が理解していると思いますが、この世界で誠実な人というのは稀有な存在です。誰もが大なり小なり自分を守るための行動をしてしまい、そこときに他人を欺くような選択をしてしまうこともあります。


「ごめんなさい」を言えないのは日本人の特性なのか、それとも人間の特性なのかはわかりませんが、世の中には謝れない人が大勢います。先生と呼ばれる人たちがまずそれで、政治家にしても学校の先生にしても、どんな状況においても自分の非を認めようとはしません。

なぜ彼らが謝れないのかはわかりませんが、私は「ごめんなさい」を頻繁に口にします。狭い通路に人が立っていて、その後ろを通ろうとしたとします。そのとき私の手提げ袋がその人に当たってしまったら、その瞬間に「ごめんなさい」と反射的に言っています。

誰も考えたことはないかもしれませんが、「ごめんなさい」は諍いを未然に防ぐことができる魔法の言葉だと思っています。電車でバランスを崩して誰かにぶつかってしまったときも、状況がどうであれ「ごめんなさい」と言えば、相手は不満そうな顔をしていても、そこから諍いになることもありません。


私の場合は少しやり過ぎだと思うこともあります。たとえば朝のランニングでは河川敷にたくさんの小鳥がやってくるのですが、自分の不注意で目の前にいる小鳥を驚かせてしまったときも「ごめん!」と言ってしまいます。もちろん本当に申し訳ないと思っているわけですが、言葉にしなくてもよかったなとしばしば思います。

ただ自ら謝ることができるようになってから、毎日のストレスがずいぶんと減ってきたように感じています。20代の頃は誰かの下になることを受け入れることができず、隙あらばマウントを取ろうとするような人間でしたが、どのタイミングかは覚えていませんが、謝れるようになってからは、見える景色がすべてが変わりました。

先に謝ることが偉いというわけではなく、絶対に折れないという芯の強さが人生の突破口になることもあります。でも「ごめんなさい」のひと言を覚えれば、柳のようにしなやかに生きることもできます。どちらを選ぶかは個人の自由で、私がとやかくいうことではありません。

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